シンガポール

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1819年:トーマス・スタンフォード・ラッフルズがシンガポールに上陸して、ユニオン・ジャックの旗を掲げる。@1819年に東インド会社からスタンフォード・ラッフルズが派遣される(ティナ資料)。

1829年:Raffles College が創設された。?(梅根 1974: 168)

1911年:辛亥革命の頃から、次第に華人の間の共通語が華語に移り始める。

20世紀前半:会館や廟、幇(ばん)といった地縁や血縁組織を作り、互助しあっていた。(ティナ資料)

1917: The Chinese Ministry of Education sent two representatives to Singapore and Malaya to inspect Chinese schools, following which three new Chinese schools were set up. The Chinese schools in Singapore were regarded by the Republic of China as being under the control of its Board of Education through the Chinese Consul-General. (Newman 1986: 53)

1920: A bill was introduced to give the Colonial government more control over Chinese schools, by providing for the registration of all schools in Singapore. (Newman 1986: 54)

1923: As a follow-up to the compulsory registration of schools, a systems of grants-in-aid was introduced by the Governor. (Newman 1986: 54)

1929年:シンガポールにラッフルズ・カレッジができる(この両学校が戦後のマラヤ大学の母体となった)。

1929年:シンガポール建設100年を記念してラッフルズ・カレッジ(学院)が設立。同学院は「自立した評議会」によって管理されていた。同学院の卒業生の大半は英語学校の教師になったが、卒業生のマラヤ人の少数はマラヤ高等文官(Malayan Civil Service: MCS)の下級部門であるマラヤ行政官(Malay Administrative Service: MAS)に採用された。

1947年3月:カー・サンダース卿 (Sir Alexander Carr-Saunders) の委員会が設けられ、マラヤに到着した。49年10月マラヤ大学がシンガポールに設立された。 (梅根 1974: 168)

1954年:シンガポールポリテクニック設立。

1955年:全党派委員会報告書で4つの各言語学校の平等な取り扱い、初等学校で2言語教育、中等学校で3言語教育の導入を勧告。

1956年:英語学校偏重を手直しして、南洋大学開学、5つの公立華文中学を設立する。○なお南洋大学は華人一人一人が一ドルずつ出し合って、華人のための大学を作ろうとの運動(一華一元運動)のもとにつくられた。大高(p.79)

1957年:国勢調査ある。母語話者数に関する国勢調査は1957年のものが最後で、これより新しいデータはない。(藤田 1993: 99)

1959年:シンガポールは、イギリス連邦から外交以外の権限を持つ自治国となった[ティナ資料]。(1959年に英連邦内自治州となって、1980年まで続く[大原資料]、この場合、シンガポールの状況を示すのに自治領、自治国、自治州のどの表現が望ましいのか?)Singapore became a self-governing state in 1959 with Yusof bin Ishak as its first Yang di-Pertuan Negara (literally means “head of state” in Malay) and Lee Kuan Yew from the People’s Action Party (PAP) as its first Prime Minister, after the 1959 elections.(Wikipedia)@なおイギリス内の地位だが、「英連邦とは、英国と旧英領植民地から独立した合計53か国で構成される国家グループ。英国以外の構成メンバーは、
大別して自治領(ドミニオンDominion)とよばれたオーストラリア、ニュージーランド、カナダと、第二次世界大戦後に独立したアジア、アフリカ、オセアニアおよびカリブ海の諸国に分類される。」とあるので、自治領がいいようです。

1959: 1959年から1965年の独立までは、「第一次5カ年計画」で、マンダリン、マレー語、タミル語、英語による教授言語を選択する自由が与えられ、英語が組み入れられた点で、「英語教育萌芽期」といえる。(大原資料)

1960年:初等学校第2言語必修@

1962年:マラヤ大学からシンガポール大学へ名称変更。

1963年:マレーシア連邦に加盟する。国語としてのマレー語の普及にも積極的である。このときから、必修言語として、英語を、第二言語として、自分の属する民族系の公用語を修得することになった。

1963年:国内治安法令が発令する。国民の利益、公共の秩序、もしくはシンガポール社会に偏見を抱かせるようないかなるものも、これを印刷して、出版して、または回覧することを禁じるとしている。(藤田 1993:130)

1964年:大衆扇動防止令が施行。一般大衆もしくは民衆間に政府もしくは裁判所に対する不満を教唆・扇動するいかなる演説・出版物もこれを禁じるとしている。(藤田 1993:130)

1965年:シンガポールはマレーシア連邦から分離独立する。独立宣言第7条で一つの国語(マレー語)、4つの公用語(英語、マレー語、華語、タミル語)を定めた。

1965年:A statement of Singapore’s official language policy can be found in The Republic of Singapore Independence Act of 1965: (1) Malay, Mandarin, Tamil and English shall be the four official languages in Singapore. (2) The national language shall be the Malay language and shall be in the Roman script: Provided that – (a) no person shall be prohibited or prevented from using or from teaching or learning any other language; and (b) nothing in this section shall prejudice the right of the Government to preserve and sustain the use and study of the language or any other community in Singapore. (Government Gazette Acts Supplement, no. 1965, pp-100) (Ross 1982: 141)

1965年:言語政策→第2次五カ年計画を始める@1965年の独立時に、「第二次5カ年計画」として、母語と第二言語(英語)の二言語教育が始まった(大原資料)。@英語の学習は、1960年に小学校で必修になっていたが、「第二次5カ年計画」で中学校でも必修となり、英語を教授言語としない学校でも理数系科目の使用言語を英語にしていった。(大原資料)

1966年:危機意識から政府は二言語政策を推進しはじめる。

1966年8月15ー19日:The Congress of the National Language of Singapore が開かれた。(Asmah Haji Omar 1993:193)

1968年:The Regional Language Centre (RELC), established in 1968 and located in Singapre, is an educational project of the Southeast Asina Ministers of Education Organization (SEAMEO). The general objectives of RELC is to assist SEAMEO member countries in the development of language education in relation to social and economic development in the multilingual context of Southeast Asia. This is carried out through training and advanced study programmes leading to post graduate degrees and through seminars, research, publications and information dissemination. (Noss 1982:167)

1968年:The Ministry of Education formed a Committee for simplifying Chinese Characters in the teaching of Chinese Language in schools. (Noss 1982:165)

1971年5月:『南洋商報』事件起こる。同紙は1970年以降編集方針を改めて、「華人ショーヴィニズム」的色彩を強め、「共産主義を賛美して、中華人民共和国に対する親近感をはっきりと示し、」1974年4月に書かれた2つの社説で「アメリカ、イギリスの後退、中国の進出という状態のもとで、英語は国際語としての地位を失い、中国語の重要性が増大しつつあると述べ、英語重視の政策をとるシンガポール政府を批判した。このために、『南洋商報』の幹部3名が逮捕されて、同紙と英字紙Singapore Herald は発行停止の処分をうけた。(藤田 1993:130)→岡部達味 1984. 「シンガポールの二言語政策」 土屋健治・白石隆編『東南アジアの政治と文化』(東大出版会)p.198

1974: A Committee for the Implementation for Hanyu Pinyin in the teaching of Chinese Language was formed. (Noss 1982:165)

1975年:南洋大学で教授用語を英語にする。

1976年:マレー語系の学校が姿を消す。
[マレー語学校(Malay-medium schools)は1979年に、閉鎖されたとの説もある]

1977: The New Nation 26 January 1977 reported that dialects would not be allowed in Chinese-language commercials over Radio and Television Singapore from July 1. (Newman 1986: 58)

1978年:中国南部方言に変えて、華語を話す運動を展開する。○大高(p.75)によれば、1979年から華語使用運動(The Speak Mandarin Campaign)が始まった。

1978年:マレーシア式マレー語正書法を取り入れる。

1979年:The British Council, through its English Language Teaching Services set up in 1979, runs English language training courses on request of the Ministry of Education. (Noss 1982:153)

1979 (Sept 7): This date is the most obvious starting date for the Speak Mandarin Campaign. The campaign then called “Promote the Use of Mandarin” was officially opened at the Singapore Conference Hall. (Newman 1986: 58)

1979年:政府は Speak Mandarin Campaign(「華語を話そう」キャンペーン)をはじめる。

1979年:当時の副首相、ゴー・ケンスウィー (Goh Keng Swee)による大幅な教育改革が行われた。無駄のない、効率的な教育が必要だとされ、小学校3年生の課程修了時に試験を行い、その成績によって通常2言語コース(N)、延長2言語コース(E)、単一言語コース(M)の3つのコースに生徒を振り分けて教育するシステムを作り出した。(ティナ資料)

1980年7月:シンガポール大学と南洋大学が合併。The merger of the University of Singapore and Nanyang University.

1980年:大学予科(中等学校4年終了後3年間)の全ての授業は英語で行われるようになる。シンガポール大学において英語が教育用語となる。(藤田 1993:117)@ All pre-university courses will be conducted in English, in keeping with the decision to use English as the medium of instruction in the National University of Singapore (NUS). (Noss 1982:147)

1980: 能力別教育の体系を採る(大原資料)

1980: The Curriculum Development Institute of Singapore (CDIS) was set up in June 1980. Previously, curriculum development was undertaken by the Education Development Division in the Ministry of Education. The main objective of the CDIS is to develop teaching materials for the teaching of languages, science and mathematics. It has five materials development projects in the field of languages:
(1) Chinese Language Instructional Materials for Primary Schools (CLIPS)
(2) Supplementary English Language Programme (SELP)
(3) Supplementary Chinese Language Programme (SCLP)
(4) Error Analysis Project
(5) Primary Monolingual Course Materials (In English, Chinese, Malay and Tamil) (Noss 1982: 168)

1980年代:タミル語学校、マレー語学校、華語学校の順に消滅。 and probably 1980年:センサスによれば、識字能力が英語と華語では二倍の差がある。

1981年:タミル語の初等学校は生徒数の減少によって姿を消す。○大高(p.73)では1982年としている。○藤田(1993:114)によれば、タミル語学校は1974年以降は入学者がいなくなり、その入学者12名が1980年に卒業するとそれ以降タミル語小学校そのものが消滅した。同様のことがマレー語学校にも起こりつつある。

1982年に、タミル語学校 (Tamil-medium schools)が

1983年12月21日:初等中等学校の授業用語を英語に順次切り替え、1987年以降はすべて英語にすると政府は発表する。

1984年:以降は数学と理科の授業はどの学校の初等・中等教育において英語を教育用語とすることになった。(藤田 1993:114)

1986年:新聞・印刷法令の再改訂が議会に上程されている。(藤田 1993:130)

1986年: 当時の教育相、トニー・タン (Tony Tan Keng Yam)は、「バイリンガル教育―英語と民族語を学習すること―は、シンガポールの教育の特徴である。現代社会のさまざまな知識や技術などを身につけるためには英語は欠かせない言語であるし、自分の文化を知るために民族語を習得することは大切である」と述べている(Parliament speech, March, 1986)。

1987年:大教育改革の年、すべての学校で英語が授業用語として使用されることが決定される。華語系の小学校はわずか4校のみとなった。

1993年:シンガポールの標準マレー語発音は、スペル通りに発音する方式によってではなくて、ジョホール・リアウ地域で話されるマレー語の発音に統一する方式で標準化が行われ、この年から教育、放送界で実施される予定である。

2000年: Speak Good English Movement (「良い英語を話そう」運動、SGEM)を始めた。

2003:

2004年:リー・シェンルーン (Lee Hsien Loong)首相は、「教育を根本的に見直し、大きな教育的変化が必要」と述べる。(ティナ資料)

2004:シンガポール・スポーツ学校(Singapore Sports School)が設立される。(大原資料)

2004: Chinese Language Curriculum and Pedagogy Review Committee 設立、「中国語」教育見直しへ[大原資料]

2004: 統合プログラム校(Integrated Programmes)が中等教育とジュニア・カレッジとの一貫教育として導入され、現在7校ある。(大原資料)

2004: 全部で172校(2004)ある小学校は、「政府が建てた学校(131校)」と「民間が建てて政府が援助している学校(41校)」の2種類だけであり、政府が初等教育を管理している姿がうかがえる。なお、シンガポールの学校の形態は「政府が建てた学校(Government School)」、「民間が建てて政府が援助している学校(Government-aided School)」、「自主運営する私立学校(Independent School)」の3種類ある。(大原資料)

2005年、サーマン・シャンムガラトナム (Tharman Shanmugaratnam)教育相は、「シンガポールは、質の良い教育を国民に提供しなくてはいけない。そのためには、「効果的」な教育ではなく、自分で選択ができる、各自に合った教育を目指す」と発表した。(ティナ資料)

2005:シンガポール国立大学付属学校(National University of Singapore High School) で数学と科学のクラスが始まった。(大原資料)

2006: 2006年度の教育省のメッセージには、「柔軟性と多様性」「広い視野に基づいた教育」という表現が強調されている。(大原資料)

2008: 情報・コミュニケーション・芸術省(MICA6)が、13才から 18才までの6年間、芸術と教養の特別なプログラムで学ぶ学校を設立する予定である(大原資料)

2012年:人口は531.2万に達する。(ついこの前まで400万とか300万と言われていた)国土面積は世界175位で、東京23区とほぼ同じ広さである。人口密度は世界第2位である(第1位はモナコ公国)。

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