日本 (外国語教育)

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日本の英語教育の歴史(江戸時代)

小学校の英語教育に関する事項は黄色でハイライトしてある。

1600年: オランダ船(リーフデ号)が備後の国の佐志布(大分県)に漂流して、乗り組んでいたウイリアム・アダムズが徳川家康に召し抱えられる。(日本人が最初に英語の触れた出来事である)

1808年:英国軍艦フェートン号の長崎港侵入事件が起こる。オランダ船拿捕のために、フェートン号が長崎港に侵入して乱暴狼藉を働く。徳川幕府はこの事件を契機として、オランダ語通詞に英語を学習させた。幕府の命によって本木良永の子、当時43歳の本木正栄が中心となり仲間の通詞5人たちと共に英語の研究を始める。彼はフランス語を商館長のヘンドリック・ドゥーフに、英語を商館員のブロンホフに学び修得。1811年(文化 8)日本最初の英語学書「諳厄利亜(アンゲリア)興学小筌」、1814年(文化11)英和辞書「諳厄利亜語林大成(あんげりあごりんたいせい)」、また最初のフランス語学書「払郎察(フランス)辞範(じはん)」などを編纂した。

1811年(文化 8年):日本最初の英語学書「諳厄利亜(アンゲリア)興学小筌」(英単語や慣用句、会話文を所収している)が発行される。

1814年:幕府は長崎の通詞らに命じ、ヤン・コック・ブロンホフの協力を得て1814年に完成したのが、日本で初めての英和辞典『諳厄利亜語林大成』だった。これは約6000語の単語の発音がカタカナで記されている。

1825年:幕府は「異国船打払令」を発令する。

1840年:リンドレー・マレーのEnglish Grammar のオランダ語訳から重訳した『英文鑑』が刊行される。訳者は渋川敬直

1853年:ペルー艦隊が来港する。

1855年:幕府は洋学所を開設する。しかしこれは開設直後の安政の大地震で全壊焼失した。

1856年3月17日:幕府は洋学所を「蕃書調所」と改称し、古賀謹一郎を頭取、箕作阮甫と杉田成卿を教授とする。

1858年:日米通商条約が締結された。

1859年:日本の最初の英会話教本『英米対話捷径』が中浜万次郎によって刊行された。

1860年:蕃書調所では、今まで蘭学が主であったが、英学が主となり正科とされた。

1862年6月15日:「蕃書調所」の「蕃書」の名称が実態に合わなくなってきたので、「洋書調所」と改称する。さらに、翌1863年10月11日、「開成所」と改称された。

明治時代から戦前の時代

1870年代:私立小学校では100年以上も前の1870年代には慶應義塾幼稚舎が既に英語学習を始めている。(徳地資料)

1872年:学制発布

1872年(明治5年):学制では上等小学校(10-13歳)から英語を教えていいことになり、以後は高等小学校では英語付設率が高まっていったが、小学校で英語を習った一部の生徒が間違った発音を身につけて、中学校の英語教師が正しい発音に矯正するのに苦労することもあった(奥野2008)。

1872: 東京を始め、全国各大学に小学校教員養成の師範学校が設置されて、各都道府県に伝習所、講習所が設置された。(林、杉谷、武内 2015:341)

1886年:高等小学校制度が発足して、都市部を中心に小学校での英語教育が一気にひろまる(江利川2008: 2)。

1886年:明治十九年の中学校令においては、尋常中学校の「学科及其程度ハ文部大臣ノ定ムル所二依ル」、「教科書ハ文部大臣ノ検定シタルモノニ限ルヘシ」とし、尋常中学校の学科課程、教科書について規定した。

1886年:「尋常中学校ノ学科及其程度」で「第1外国語ハ通常英語トシ第2外国語ハ通常独語若シクハ仏語トス」という規定以来、外国語の教科として英語が定着した。

1886年:明治十九年の小学校令に基づいて同年五月二十五日「小学校ノ学科及其程度」が定められ、新しい小学校の学科課程の基準が示された。これは小学校令に「小学校ノ学科及其程度ハ文部大臣ノ定ムル所二依ル」(第一二条)と定められていることに基づいて制定されたものである。従前の小学校教則綱領は、これに準拠して府知事県令が地方の実情を考慮して小学校の教則を編成するための基準として定められていたものであるが、「学科及其程度」は文部大臣が直接に教育課程の基準を定め、全国の教育を統一する性質をもつものであった。「学科及其程度」は全文一〇条からなり、尋常小学校および高等小学校の修業年限、学科、学級編制、休業日、毎日の授業時間、各学科の毎週授業時間、各学科の程度などについて定めている。

1922: 臨時教員養成所が設置された。英語科は東京高等師範学校、広島高等師範学校、大阪外国語学校に設置された(林、杉谷、武内 2015:343)→これが外国語教員養成の始まりか? 1945年9月20日:「終戦ニ伴フ教科用図書取扱方ニ関スル件通牒」よりの文部省の通知によって教科書への黒塗りの指示がなされた。(江利川2008:107)

1923年:英語教授研究所が設立されて、初代所長として、ハロルド・E・バーマーが初代所長となった。

1941年:国民学校令が発令される。

1945年4月:国民学校高等科以上の学校において授業を一切中止して全面的動員体制に入った。

戦後の英語教育

1945年8月16日:文部省は学徒動員の解除を通知し、24日学校教練・戦時体錬・学校防空関係の諸法令を廃止し、28日に、9月中旬をめどに授業を再開することを指示した。

1946年:教職員の資質向上教育が始まる。全国の教員養成諸学校長および地方視学官の三修を求めて「新教育方針中央講習会」を開催する。(林、杉谷、武内 2015:347) 1947年(昭和22年):学習指導要領(試案)が当時の文部省によって発行された。拘束力はない。

1946年4月:文部省内に教科課程改正準備委員会が発足して教育課程改革の作業が行われ,後に各教科別に学習指導要領の作成も進められた。それは、1947年3月に〈学習指導要領・一般編(試案)〉が刊行された。

1946年3月:アメリカ教育使節団報告書(3月はじめに27名の委員が来日して、3月末に報告書を出して、その全文は4月7日に総司令部から公表された。)  私見→ 一ヶ月も経たない間に報告書を出すというのは無謀ではないか?
内容は、報告書は、日本教育の目的及び内容、国語改革、初等及び中等段階の教育行政、教育活動と教師教育、成人教育、高等教育の六章から成り、全体として日本の過去の教育における問題点を指摘しつつ、これに代わるべき民主的な教育の理念、方法、制度などを提言している。基本的人権を軸とした教育における民主主義と自由主義の理念を強調し、教育制度では個人の能力と適性とを十分に発揮させる教育機会の均等化、教育の内容や方法では画一化の排除、及び子供たちや教員の自主性の尊重などを重視していた。新しい学校制度としては六・三・三制と、特に六・三の九年間に及ぶ無償の義務教育と男女共学、四年制を主体とする開放的な大学制度、大学での教員養成などを提唱し、教育行政面では国家主義的な中央集権制を批判し、公選制の教育委員会制度に基づく地方分権的システムを勧告した。また、民主社会における成人教育の発達を重視し、ローマ字の採用・漢字の制限・仮名文字の汎(はん)用などの国語改革を文化の民主化を目指す重要手段として勧告した。その後この報告書は、CIEによる教育改革政策指導上の指針としての役割を果たし続けることになった。

 なお、米国教育使節団は、第一次訪日団勧告の実施効果を検証するため二十五年八月から九月にかけて再び来日した。

1947年:GHQの占領・管理下において、学校教育法が制定され教育の機会均等が実現した。

1949年:教育職員免許法を施行し、「教員免許制度」を創設、教員養成系大学以外の一般大学と短期大学でも教員資格を取得できるいわゆる開放制を採用して「教育公務員特例法」を制定した。(林、杉谷、武内 2015:343)@第二次世界大戦前の日本の教員は、師範学校の卒業生が中心を占めていた。当時は、性質がよくない教員の存在がささやかれ、この原因は、教員養成の中心部分を官立全寮制の師範学校に依存していたためと考えられた。これを受けて第二次世界大戦降伏後は、大学で所定の単位を修得すれば、だれもが教員免許状の授与を受けられるようにした。この制度は、第二次世界大戦前の制度に対して「開放制」などと呼ばれた。 また、当時は、教育の強力な地方分権化が構想された時期でもあり、そのため、教育職員免許法において、(免許状の)「授与権者」は、文部大臣(現在の文部科学大臣)ではなく、都道府県の教育委員会とされている。当初は、教科用図書検定なども都道府県の教育委員会が行うことが想定されていた。やがて、教科用図書検定などは、文部省(現在の文部科学省)の所管事務となったが、免許状の授与については、教育職員免許法の規定に基づいて都道府県の教育委員会が行っている。(Wikipediaより)

1950:教育指導者講習と新教育方針中央講習会から名称変更となる。(林、杉谷、武内 2015:347)

1951年(昭和26年):中学校・高等学校学習指導要領外国語科英語編(試案)→これは日英両語による三冊、759ページにおよぶ大きなものであった。この指導要領は、あまりに大冊であったためか、あまり読まれなかったが、新しい英語教育に啓蒙的な役割を果たしている(高梨健吉1975『日本の英語教育史』pp.239-258大修館書店)という評価もある。この時代は語学教育研究所が中心となりH. E. PalmerのOral Methodの考えを取り入れて作成されたと言われている(奥野2008)。

1956年:教育委員会を公選制から任命制に変えて、教科書調査官を新設して検定体制を強化した。それで検定不合格が続出した(江利川2008:137)。

1958年(昭和33年):「小学校学習指導要領」「中学校学習要領」が告示されたが、これが法的拘束力を持つ最初の学習指導要領である。@これは試案ではなくて、法的強制力を伴う国家基準とされたたために、英語教科書に深刻な影響を及ぼした(江利川2008:137)。

1963年:教科書無償措置法と抱き合わせに広域採択制が導入されて、65年に全面実施となった。これによって採択権が教師から教育委員会に移った。さらに検定が3年に一回になり、同じ教科書を3年間使用が義務づけられた(江利川2008: 139¬¬-40)。

1963年4月:財団法人日本英語検定協会が設立される。

1963年8月:第一回の英検の試験が行われる。このときは、1級、2級、3級だけであった。

1966年:東京都で学校群制度が導入され、都立日比谷高校に代表される都立名門校の進学実績が低迷していく。その一方では一部の国・私立高校やその附属中学が人気を集めることで、受験競争の緩和にはつながらずに、むしろ激化していった面もある。

1966年:全国一斉学力テストが廃止された。文部省は行き過ぎた受験競争に歯止めを掛けようとした。

1966年:経団連が「創造的な人材の育成に向けて~求められる教育改革と企業の行動~」を発表する。ここでは、英語教育の重要性は指摘しつつも具体的な提案はなかった。

1971:すぐれた教職人材を確保するために、中央教育審議会は、次の3点を提言した。(1)義務教育の教員の初任給を一般の公務員より3-4割上げる、(2)採用後1年程度の期間、実地修練を行う制度の開設、(3)教職経験豊かな教員が2年間高度な教育の勉強ができる大学院の設置。→この提言を受けた「学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法」が制定された。(林、杉谷、武内 2015:346)

1972: 松川(2004)によると日本における公立学校における英語活動の先駆的事例は1972年に千葉県で15の小学校がクラブ活動としての英語教室を開始したことであると述べている。

1986年には横浜市立小学校において「国際理解教室」が始められている。(徳地資料) 1972:この年の学習指導要領にすでに「国際理解」という言葉が見られる、しかし盛んに使われるようになったのは1990年代以降のことである(山田2005a: 42)。

1974: ユネスコが国際理解に関する勧告を受け入れる(山田2005a: 52)。

1974: 人確法:教師の待遇は74年の〈学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法〉(略称,人確法)により若干改善されたが,一方,同年,教頭職の法制化によりその職務権限が強化され,翌75年には小・中・高校などに教務主任,学年主任,生徒指導主任などを置き,主任手当をつけることが決定された。学校経営では各学校ごとに多様な協力形態のあることが望ましいので,この省令改正による画一的実施は管理体制強化につながるとして組合側は反対し,主任手当拠出により各地で独自な文化活動を展開し始めた。(出典:コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E7%A2%BA%E6%B3%95-1342872)

1974年5月:参議院議員平泉渉(わたる)氏が平泉試案「外国語教育の現状と改革の方向ー一つの試案」を発表する。それに対して上智大学教授渡部昇一氏が「亡国の『英語教育改革試案』」で平泉氏の改革試案を批判した。

1977年:学習指導要領が改訂されて、「ゆとり」がキーワードとなる。

1977年:大学受験において共通一次試験が導入された。

1979年:TOEICが創立されて、受験者は3000人ぐらいである(鳥飼2006:64)。

1981年(昭和56年度):中学校指導要領の改訂で、英語が完全な週3時間体制となった。なお、1989年(平成元年)の指導要領では実質4時間に戻されたが、1998年の指導要領では、また週3時間に戻る。2008年の指導要領では再び週4時間に戻される。

1983年:自民党文教制度調査会による「教員の養成、免許等に関する提言」がおこなわれ、後に免許更新制度へと結びついた。

1986年:横浜市立小学校において「国際理解教室」が始められている。(徳地資料)

1986年4月:発表された臨時教育審議会第二次答申の中で「英語教育の開始時期についても検討する」という文言がある。@中曽根康弘首相直属の臨時教育審議会の第2次答申「時代の変化に対応するための改革」の第3部第1章(3)「外国語教育の見直し」では、中学・高校の英語教育が文法や英文読解指導に重点が置かれすぎていることや、大学でも実践力を身につける内容とはなっていないなど、現在の英語教育の非効率性とその改善の必要性が指摘された。そして「英語教育の開始時期についても検討を進める」と提言を行った。@この「国際化への対応のための諸改革」で、「英語教育の開始時期についても検討を進める」(臨時教育審議会 1986)が、「小学校への英語教育導入」に関する最初の公式な文言のようである。この答申を受けて、文部科学省は具体的な検討を始め、1992年(平成4年)に大阪の二つの公立小学校(真田山小学校、味原小学区)を「小学校英語教育の研究開発学校」に指定した。1996年には、全国全ての都道府県に各一校の「研究開発指定校」が指定となった。当時は、英語が小学校に正式な科目として位置づけられるのは確定的で、文部科学省の規定方針のように思われていた。(川畑資料)(?研究開発校と研究開発指定校は同じ概念か別の概念か)

1987: JETプロラムは正式名称を「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchanged Teaching Program)と呼び、ALTと呼ばれる外国語指導助手や国際交流員の受け入れシステムのことである。1987年に4カ国、848人から始まった. (徳地資料)@招聘された人材は、外国語指導助手 (ALT)、国際交流員 (CIR)、スポーツ国際交流員 (SEA)の3つの職種に分けられ従事する。主な参加要件としては、40歳未満であること、3年以上の日本在住歴がないこと、などが挙げられる。参加者の90%が外国語指導助手として従事することになる。(Wikipedia 「外国語青年招致事業」より)@文部省により、「語学指導などを行う外国人青年招致事業」(Japan Exchange and Teaching Program : JET プログ ラム)が開始された。これは、前年度、自治省から提言された地方行財政重点施策の「国際交流プロジェクト構想」に沿ったものであり、大都市に偏らない地域レベルの国際交流を目指した施策である。そしで「外国語指導助手」(英語以外の外国語も考慮してAssistant Language Teacher : ALTと呼ぶが、英語だけの時はAssistant English Teacher : AET)の他に、知事部局などで地域の国際交流活動にあたる「国際交流員」(Coordinator for International Relations : CIR)や、「スポーツ国際交流員」 (Sports Exchange Advisor : SEA)が招致されてきた。当初はアメリ力、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドの4か国からの848名に過 ぎなかったが、2009年には36か国からの4,436名に達している。招致対象国の累計は、2009年度で55か国となった。この事業は、まず自治省が、知事や市長が提出する外国青年の配置活用計画をまとめて国別招致計画を策定、次に外務省が、この計画に基づいて在外公館を通じて募集・選考を行う。そして文部科学省が,ALTの来日直後や中間期の研修、指導、さらにはカウンセリングなどを行う。(卯城 2015:161-2)

1987: 臨時教育審議会第3次答申において、帰国生徒・外国人生徒・一般生徒がともに学ぶ「新国際学校」の設立が提唱された。それを受けて1991年4月に千里国際学園が設立される(植松2006:167)。

1989:この年の学習指導要領の改訂で「オーラル・コミュニケーション」という科目が高校に導入された(鳥飼2006:77)。

1989: 普通免許状の種類は学位取得に応じて、専修免許状(大学院修士)、一種免許状(大学学士)、二種免許状(短期大学士)の三種に区別された。(林、杉谷、武内 2015:343)@(ただし、高等学校教諭の免許状については、専修免許状と一種免許状の2種類だけ)@教育職員免許法及び教育職員免許法施行規則(教員免許課程認定関係条文抜粋) ここをクリック

1990: 雑誌『英語教育』の1990年4月号に、「国際理解教育をどう進めるか」という特集が組まれた。→たぶん、これが国際理解教育が大きな焦点を浴びた最初のようである(山田2005a: 42)。

1990年代:文部科学省は、外国語教育に対し1990年代までは博士号の学位を認めてこなかった。外国語の語学・文学分野に対し、外国語教育の専門性への認識が低かったと言えよう。その結果、今日でも教職の専門性を認める基盤が弱く、専門性育成のための研究の体系化や蓄積は少なく、英語以外の外国語では、その基盤さえ、制度的に整っていないところもある。(大谷・杉谷・橋内・林、2015:334)

1991: 大学設置基準の大綱化により、各大学は独自の裁量によりカリキュラムなどを改訂できるようになる。これは教養部の廃止、第2外国語教育の縮小や廃止へとつながっていった。

1991: 臨時行政改革推進審議会の「豊かな暮らし部会」が小学校への英語導入の検討を提言した後に当時の文部省の坂元初等中等教育局長が小学校への英語教育導入について文部省が検討を始めることを表明した。(徳地資料)

1992年4月:大阪市立真田山小学校、味原(あじはら)小学校が「小学校の英会話」等に関する研究開発校(これは研究指定校では?研究開発指定校とする資料もある)として指定された。(徳地資料)@真田山小学校のホームページには、1992年の4月に「文部省研究開発学校の指定を受ける。(英語教育を通じての国際理解教育)」とあり、1994年の11月には、「文部省研究開発学校の研究発表(英語教育を通じての国際理解教育)を行う」とある。この2校が選ばれたのは、1986年の臨時教育審議会第二次答申の中で「英語教育の開始時期についても検討する」を受けての行動である(瀧口優 2006:17)。@研究開発学校制度がはじまり、1996年度まで、順次研究開発学校が指定された。この5年間で指定された小学校の数は、合計47である(山田2003:100)。@1990年までには63校に広がる(伊村元道、『日本の英語教育200年』p.245)@大阪の二校の取り組みについては、次の資料が参考になる。

1993年から95年まで、2回目の研究指定校として、千葉の鴇嶺小学校、鹿児島大学附属小学校が認定を受ける(瀧口優 2006:18)。

1995年:日本英語検定協会(STEP)が児童英検を始める。(伊村元道、『日本の英語教育200年』p.245)

1996年6月:日本フランス語教育学会・日本フランス語フランス文学会共催シンポジウム「一言語主義から多言語主義へ:フランス語の未来」で、日本において多言語主義が論じられるようになったはじめての出来事である。そこでは、フランス語だけの生き残りや振興を主張するのではなくて、多言語主義、つまり英語+一言語の発想の中で、フランス語を含む第二外国語全体の生き残りをはかる主張をフランス語教育界が先頭に立って推進していくとの趣旨であった(西山 2011:198)。

1996年7月19日:第15期中央教育審議会の第1次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」において「英語の教科としての一律導入は見送られ、代わりに新設された「総合的な学習の時間」や特別活動などにおいて、国際理解教育の一環として、地域や学校の実態などに応じて、英会話などにふれる機会や外国の生活、文化に慣れ親しませるようにするべきである、その時はネイティブ・スピーカーなどの活用をはかることが望まれる」という指針が示された。(徳地資料)これが2年後の学習指導要領の改訂につながった。@第3部 「国際化、情報化、科学技術の発展等社会の変化に対応する教育の在り方」の第2章「国際化と教育」において、○ 国際理解教育の充実、○ 外国語教育の改善、○ 海外に在留している子供たちや帰国した子供たち、日本に在留している外国人の子供たちに対する教育の改善・充実、が謳われた。「外国語教育の改善」に関する箇所では、リスニングやスピーキングなどのコミュニケーション能力の育成を重視した外国語教育の改善(カリキュラム・指導方法の改善、教員の指導力の向上、入学者選抜の改善など)が提唱され、さらに、小学校における外国語教育については、「教科として一律に実施する方法は採らないが、国際理解教育の一環として、「総合的な学習の時間」や特別活動などで地域や学校の実態等に応じて、英会話等に触れる機会や外国の生活・文化に慣れ親しむ機会を持たせることができるようにする。その際は、ネイティブ・スピーカーなどの活用を図ることが望まれる」などの考えが明らかになった。

1997: 前年のシンポジウム「一言語主義から多言語主義へ:フランス語の未来」がまとめられ、『多言語主義とは何か』として藤原書店から刊行された。その影響で翌年は多言語社会研究会が発足する(西山 2011:199-200)。

1997年7月:中央教育審議会の第2次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」が出される。中高一貫教育の意義と選択的導入などが提唱された。

1997: 議員立法により小学校及び中学校の教諭の普通免許状授与に係る教育職員免許法の特例等に関する法律が制定され、新規に教員の免許状の普通免許状の授与を受けようとする場合は、介護等の体験が必要となった。

1998年(平成10年):「生きる力」の育成を標榜して現行の小学校・中学校学習指導要領(戦後第5回目)が告示された。なお、戦後何回目の改訂かに関しては諸資料によって数字がことなる。ここでは、大修館『英語科教育法』(望月編)による。@2002年(平成14年)から実施となる小学校学習指導要領が1998年に告示となった。総合的な学習の時間」が新設となり、学習指導要領の総則において、総合的な学習の時間の 取扱いの一項目として、「国際理解に関する学習の一環としての外国語会話等を行うときは、学校の実態等に応じ,児童が外国語に触れたり、外国 の生活や文化などに慣れ親しんだりするなど小学校段階にふさわしい体験的な学習が行われるようにすること」とされた。これにより、全国の小学校 で、いわゆる「英語活動」が広がることとなる。同年の中学校学習指導要領改訂でも、外国語(英語)が初めて必修となった。

2000年1月:「21世紀日本の構想 日本のフロンティアは日本の中にある」懇談会の報告により、英語の第2公用語論が発表される。

2000年3月28日:経団連の意見書「グローバル化時代の人材育成について」が発表される。

2000年8月:船橋洋一が『あえて英語公用語論』を発売する。 2001年:『小学校英語活動の手引き』が発行された。そこでは、英語教育についても細かい提言をしている。

2001年:「英語指導方法等の推進に関する懇談会(報告)」が発表

2002年:戦後7回目の学習指導要領の改訂が行われる。総合的な学習の時間が新設される。小中学校の学習指導要領は1998年(平成10年)に告示され、2002年(平成14年)度から実施された。高等学校の学習指導要領は1999年(平成11年)に告示され、2003年(平成15年)度の第1学年から学年進行で実施された。内容の一部については2000年(平成12年)度から先行実施された。

2002年4月:小学校の新学習指導要領が施行される(告示は1998年12月である)。「総合的な学習の時間」が創設された。そこでは、「総合的な学習の時間」の取り扱いに関して、「国際理解に関する学習の一環としての外国語会話等を行うときは、学校の実態等に応じ、児童が外国語に触れたり、外国の生活や文化などに慣れ親しんだりするなど小学校段階にふさわしい体験的な学習が行われるようにすること。」と書かれている(山田2005a: 42)。@完全週5日制となり、ゆとりの中で「生きる力」を育成することを目指した(山田2003:110)@2002年度から施行された学習指導要領による。実質的な内容は、学習内容及び授業時数を3割削減。完全学校週5日制の実施。「総合的な学習の時間」の新設。「絶対評価」の導入。である。(数学教育協議会の調査によれば、算数・数学の授業時間数としては世界でも最低の水準になったという)

2002年7月:内閣官房構造改革特区推進室が発足して、内閣総理大臣を本部長とする構造改革推進本部がスタートした。

2002年7月:構造改革特区の第1次提案募集が公開される。12月には、「構造改革特別区域法」が公布された。[実態に合わなくなった国の規制が、民間の事業者の経済活動や地方公共団体の事業を妨げているとするが、従来型の財政措置は講じないので、条件作り等は地方自治体任せになっている]教育特区でも文科省が認定するのではなくて、内閣府が認定の判断を下すのである(瀧口優 2006:25)。

2002年7月:「『英語が使える日本人育成のための戦略構想』」が発表される。 ◎ 国民全体に求められる英語力→中学・高校での達成目標を設定。 ・ 中学校卒業段階:挨拶や応対等の平易な会話(同程度の読む・書く・聞く)ができる(卒業者の平均が英検3級程度。)。 高等学校卒業段階:日常の話題に関する通常の会話(同程度の読む・書く・聞く)ができる(高校卒業者の平均が英検準2級〜2級程度)。 ◎ 国際社会に活躍する人材等に求められる英語力→各大学が、仕事で英語が使える人材を育成する観点から、達成目標を設定。

2002年7月:上記の戦略構想の中で、「小学校英語活動実施状況 調査」が行われた。全国の小学校のうち何らかの英語活動を実施しているの は、2003年度には約88%であったが、2007年度には約97%にまで達した。ただ、週に複数時間導入している学校もあれば、年に1時問の学校もあり、活動内容に大きな差があったそうだ。

2003年3月:「英語が使える日本人育成のための行動計画」が発表される。 英語教員の指導力の向上を図るとして、以下のような説明がある。 【 目標】 ○ 概ね全ての英語教員が、英語を使用する活動を積み重ねながらコミュニケーション能力の育成を図る授業を行うことのできる英語力(英検準一級、TOEFL550点、TOEIC730点程度以上)及び教授力を備える ○ 地域レベルのリーダー的教員を中核として、地域の英語教育の向上を図る ○ 中・高等学校の英語の授業に週1回以上はネイティブスピーカーが参加する ○ 英語に堪能な地域の人材を積極的に活用する

2003年4月21日:太田外国語教育特区が認定される。学習指導要領等の教育課程の基準によらない特例を活用して、市と民間が協力して小中高一貫教育の学校を設立し、国語等を除いた大半の授業を外国人教諭が英語で行う。@太田市が申請し構造改革特区第1号に認定された「太田市外国語教育特区構想」に基づき、設立された学校で、2005年4月に開校した。国語を除くほとんど全ての教科教育を英語で行う「英語イマージョン教育」を最大の特徴とする。1クラスの定員は30名(実際は36名)で、担任はバイリンガルの日本人教師(日本の教員免許)とネイティブの外国人教師(母国の教員免許)の二人制。ほとんどの授業はクラスの半分である18名で行われる。インターナショナルスクールとの大きな違いは、この学校が教育基本法第1条に基づく学校であることである(Wikipedia)。 2004年1月:河村建夫文科大臣が「小学校英語、将来は全国に」という発言をする(鳥飼2006:44)。

2003年5月15日 文部科学省から、中等教育審議会にあてに、「今後の初等中等教育改革の推進方策について」に関して諮問が行われた。初等中等教育に関して、教育内容・方法や制度の在り方などについて幅広く検討してもらうことが要請された。なお、中央教育審議会の答申の経緯については、文科省のサイト「これまでの経緯」に詳しく示されている。

2004年: OECD生徒の学習到達度調査(PISA2003)、国際数学・理科教育調査 (TIMSS2003)の結果が発表され、日本の点数低下が問題となる。

2004年3月:中教審初等中等分科会教育課程部会外国語専門部会が設立される(鳥飼2006:44)。当初の予定では、1年後の2005年に「小学校で英語を教科として導入する」という答申を出すはずだったようです(鳥飼2006:46)。 2005年7月15日:大津由紀雄教授が代表者となって「小学校での英語教科化に反対する要望書」を中山成彬(なりあき)文科大臣宛に出す。

2005年:中山成彬文科相、学習指導要領の見直しを中央教育審議会に要請する。

2006年10月10日:教育再生会議(Education Rebuilding Council)は、安倍内閣が教育改革(再生)への取組みを強化するため、2006年10月10日の閣議決定により設置する。

2008年1月31日に最終報告を提出し解散した。

2006年3月:中教審の外国語専門部会から「小学校における英語教育について」「必修化」を内容とする答申が出される。「小学校の高学年においては、中学校との円滑な接続を図る観点からも英語 教育を充実する必要性が高いと考えられる。例えば、年間35単位 時間(平均で週1回)程度について共通の教育内容を設定することを検討する必要があると考える」とされた。

2007年: OECD生徒の学習到達度調査(PISA2006)の結果が発表され、日本の点数低下がさらに問題となる。安倍晋三首相の下「教育再生」と称してゆとり教育の見直しが着手され始める。→脱ゆとり教育へ路線変更。日教組は「ゆとり教育を推進すべき」との主張を続ける。全国学力・学習状況調査が始まる。

2006年7月:「今後の教員養成・免許制度の在り方について(答申)

2007年6月:免許状更新講習は、2007年6月の教育職員免許法の改正によって実施の道筋がつけられる。

2008年1月:中央教育審議会「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善につい て(答申)」において、総合的な学習の時間とは別に高学年において一定の授業時 数(年間35単位時間、週1コマ相当)を確保することが適当である」として、 外国語活動の新設が答申された

2008年(平成20年):3月28日に改訂版小学校学習指導要領を告示した。小学校第5学年と第6学年に外国語活動が位置づけられた。小学校新学習指導要領の全面的な実施は平成23年度からであるが、平成21年度から、実施可能なものは先行して実施することを基本方針とすることが、4月21日に開催された臨時教育長会議で確認された。

2008年4月1日:教職大学院:戦後の日本の教員養成は、大学(短期大学を含む)などの教員養成機関を中心に行われてきた。文部科学省の中央教育審議会は、教員に対するより高い専門性を求める社会的な要求に応えるため、教員養成を大学院に移行することに関する審議を行った。教員免許状制度とは直接の関係を有しないものの、教職大学院は、

2008年4月1日(平成20年度)からの開設である。平成19年3月1日付にて、文部科学省より教職大学院設立に関する省令等(専門職大学院設置基準及び学位規則の一部を改正する省令等)が公布されており、平成19年4月1日に施行された。標準修業年限は2年である。各教職大学院が定める在学期間を在学し、各教職大学院が定める45単位以上を修得すること等で修了すると、教職修士(専門職)の学位が授与される。しかし、学位を持っている修了者に対して教員採用試験での優遇措置のメリットはほとんどなく、また現職教員に対する優遇措置もなく、半数で定員割れを起こしている。教育委員会側から見た場合、それだけの教育をしていないことも見られる。(Wikipedia 教職大学院2015/06/23参照 )

2009年4月より免許更新制度が導入される。免許状の効力のある期間は10年間となっていて、免許状の更新には、有効期間満了日の2年以上の期間内に講習の過程を修了することになっている。@免許状更新講習の時間は、30時間以上、そのうち「教育の最新事情などの必修領域(共通)」を12時間以上、「教科指導、生徒指導などの選択領域(教科)」を18時間以上受講・修了することになっている。しかし、教員免許状を持たず、さらに外国語教授法を専門としない大学教員が担当する場合もある。(大谷・杉谷・橋内・林 2015: 348)@教員免許更新制の主な目的としては、一定期間ごとに教員が技術や知識を獲得する機会が得られる、教員としてふさわしくないものを排除出来る等、教員の質を維持出来ることである。問題点としては、「教育現場の時間的な負担が増し、子どもたちに関わる時間が減ってしまう」、「受講機会の確保や講習内容についての議論も、尽くされているとは言えない」などといった指摘もある。(Wikipedia より)。

2009年7月:関東所在5女子大学(日本女子大学、実践女子大学、東京家政大学、昭和女子大学、大妻女子大学)にて、2011年4月開設の予定で共同教職大学院の設置申請を文部科学省に対して行ったが、2009年7月に昭和女子大学の研究科長就任予定准教授の経歴に虚偽があったことが発覚し、5校とも申請を取り下げている。→大連合”計画頓挫で分かった…名門女子大の苦悩

2011年:「グローバル人材育成推進会議」を内閣府・国家戦略室で開催する。 議 長 は内閣官房長官、構成員は 外務大臣、文部科学大臣、厚生労働大臣、経済産業大臣及び国家戦略担当大臣である。

2011年(平成23年):戦後8度目の改訂の学習指導要領である。ゆとりでも詰め込みでもなく、知識、道徳、体力のバランスとれた力である生きる力の育成を実現を目指している。脱ゆとり教育とも呼ばれている。 小学5、6年生に「外国語活動」の時間を創設。高校では「英語I・II」、「オーラルコミュニケーションI・II」、「リーディング」、「ライティング」を「コミュニケーション英語I・II・III・基礎」等と改名し、英語で授業を行うことを原則としている。

2011年6月:外国語能力の向上に関する検討会から「国際共通語としての英語力向上のための5つの提言と具体的施策」が提言される。

2012年4月1日:NHK英語講座はCEFRを新たな基準として、例えば基礎英語IはCEFR A1 を基準となる。

2012年6月4日:グローバル人材育成戦略(グローバル人材育成推進会議)が国家戦略室より発表される。

2012年7月19日:外国語教育における「CAN-DO リスト」の形での学習到達目標設定に関する検討会議、が設置される。

2013年1月15日:教育再生実行会議の開催が閣議決定される。これは第2次安倍内閣における教育提言を行う私的諮問機関である。

2013年3月:「各中・高等学校の外国語教育における「CAN-DOリスト」の形での学習到達目標設定のための手引き」が文部科学省から発表される。特筆すべき点は、中学高校ではCAN-DOリストの作成を必須としていること、小学生の段階ではまだ不要としていること。国が見本となるリストを作成するのではなくて、各学校が作成することを推奨している点である。

2013年4月1日:高校では、新入生から新学習指導要領の全面実施に入る。特徴の一つは、英語の授業を「英語で行う」ことを基本にすることである。

2013年4月8日:自民党の教育再生実行本部がまとめた「成長戦略に資するグローバル人材育成部会提言」では、大学において従来の入試を見直し、実用的な英語力を測るTOEFL等の一定の成績を受験資格および卒業要件とする」として、国公立トップ30校の卒業要件をいiBT90点にする(成田 2013:17)。@大学入試や卒業認定、キャリア官僚の採用試験にTOEFLを導入する方針を定める。(大谷・杉谷・橋内・林 2015: 335)

2013年5月23日:自民党教育再生実行本部第二次提言では、教職大学院については、教員養成・採用を改革する観点から、教職大学院の充実方策を検討して実行に移すこと、修了者の優先採用と採用試験免除を行うことなどを提言している。

2013年6月13日:経団連は「世界を舞台に活躍できる人づくりのために」を提言する。その概要は次のとおりである

2013年9月:大阪府教育委員会は、府立高校の入試に2017年春からTOEFLや英語検定試験を活用する方針を定める。(朝日新聞 Sep. 21)

2013年10月15日:「大学院段階の教員養成の改革と充実について」が報告された。

2013年10月23日:正式教科でない「外国語活動」として実施している小学校英語の開始時期について文部科学省が現在の小5から小3に前倒しする方針を固めたことが23日、分かった。3、4年は週1~2回、5、6年は週3回実施を想定。小5からは教科に格上げし検定教科書の使用や成績評価も導入する。早い時期から基礎的な英語力を身に付ける機会を設け、国際的に活躍できる人材育成につなげる狙い。今後、教科書の検定基準や評価方法などを検討、中教審の議論を踏まえて学習指導要領の改定に着手。2020年までの実施を目指す。

2013年12月13日:小中高等学校を通じた英語教育改革を計画的に進めるための「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」を文部科学省が発表した。中学校の英語授業は原則として英語で行い、高校の授業では発表や討論などに重点を置き卒業時に英検2級から準1級程度の英語力を身に付ける目標を設定した。2018年度から段階的に導入し、2020年度の全面実施を目指す。その概要は、○小学校中学年:活動型・週1~2コマ程度・コミュニケーション能力の素地を養う・学級担任を中心に指導 ○小学校高学年:教科型・週3コマ程度(「モジュール授業」も活用)・初歩的な英語の運用能力を養う・英語指導力を備えた学級担任に加えて専科教員の積極的活用○中学校・身近な話題についての理解や簡単な情報交換、表現ができる能力を養う・授業を英語で行うことを基本とする○高等学校・幅広い話題について抽象的な内容を理解できる、英語話者とある程度流暢にやりとりができる能力を養う・授業を英語で行うとともに、言語活動を高度化(発表、討論、交渉等)する。 2020年の東京オリンピック・パラリンピックを見据えて、教育体制整備する。小学校5・6年生で英語を正式な「教科」とすることや、教員の「英語力」を公表する仕組みを設ける。英語教員には英検準1級、TOEFL iBT 80点程度等以上を求める。

2013年12月:文科省による平成25年度「英語教育実施状況調査」: 中学校で「発話をおおむね英語で行っている」又は「発話の半分以上を英語で行っている」教員は平成24年度の1年生で45%、2年生で43%、3年生で41%である。高等学校で、「発話をおおむね英語で行っている」又は「発話の半分以上を英語で行っている」教員は、平成22年度の「英語1」で15%だったが、平成25年度の「コミュニケーション英語1」では53%に、「英語表現1」では47%に、それぞれ増加した。

2014年2月4日:「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」において示された方向性について、その具体化に向けて、専門的な見地から検討を行うため、本有識者会議が設置された。

2014年2月26日:英語教育の在り方に関する有識者会議(第1回目) 2014年3月19日:英語教育の在り方に関する有識者会議(第2回目)

2014年4月23日:英語教育の在り方に関する有識者会議(第3回目)

2014年5月21日:英語教育の在り方に関する有識者会議(第4回目)

2014年6月18日:英語教育の在り方に関する有識者会議(第5回目)

2014年7月16日:英語教育の在り方に関する有識者会議(第6回目)

2014年8月8日:英語教育の在り方に関する有識者会議(第7回目) 2014年9月4日:英語教育の在り方に関する有識者会議(第8回目)

2014年9月26日:英語教育の在り方に関する有識者会議(第9回目) 提言を行う。 (1)目標は、中学校卒業段階:英検3級程度以上、高等学校卒業段階:英検準2級程度から2級程度以上)を達成した中・高生の割合50%とする。高等学校卒業段階で、英検2~準1級、TOEFL iBT60点以上を設定する。 (2)中学校においても、生徒の理解の程度に応じて、授業は英語で行うことを基本とする。 (3)各学校は学習到達目標を設定する(例:CAN-DO形式)。[中学校では、文部科学省「英語教育実施状況調査(H25)によれば、CAN-DO形式での学習到達目標は、17.4%(※8)の学校が設定し、その中で、達成状況を更に把握している学校は66.8%である] (4)小学校高学年では、現在、中学校で学ばれている内容を単に前倒しするのではなく、小学校の発達段階に応じて初歩的な英語の運用能力を養う。 (5)小学校では、英語に限らず、世界に数多くの言語があることを理解させることも重要である。 (6)小学校での評価は、言語や文化に関する気付き、コミュニケーションへの関心・意欲、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度、「聞くこと」「話すこと」などの技能、を評価する。→通知表ではABCの評価か?

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/102/houkoku/attach/1352463.htm

2014年10月7日:実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議(第1回) 経営共創基盤CEOの冨山和彦氏より、グローバル人材を育てる「G(グローバル)型大学」と、職業訓練校的な教育をほどこす「L(ローカル)型大学」の提案が出される。 L型大学では、従来の英文学部は、観光業で必要となる英語、地元の歴史・文化の名所説明力を学ぶ学部に変化すべきとしている。

2014年11月6日:文部科学省は、「これからの学校教育を担う教員の在り方について」報告をする。ポイントは、「小学校教員免許状及び中学校教員免許状の併有を基本とする」という点である。また、小中一貫教育学校(仮称)の創設、小中一貫教育学校免許状(仮称)」の創設、である。

2014年11月20日:下村博文文部科学相は、小中高校で学ぶ内容や授業時間数を定めている学習指導要領の全面改定を中教審に諮問した。英語教育を充実させるため小学校で教科にするほか、高校では日本史を必修化するなど大幅な改定となる。中教審は2016年度中に改定内容を答申する方針。諮問では、文科省の有識者会議が小学校5年生からの英語の教科化や「読む」「書く」「聞く」「話す」の4技能をみる民間試験の入試への活用を求めたのを受け、英語教育を小中高校を通して改革することを検討事項とする。

2015年04月26日:「教員免許:国家資格に 自民提言へ、資質向上図る」(毎日新聞 2015年04月26日)「教員制度改革」を検討している自民党の教育再生実行本部(本部長・遠藤利明衆院議員)は、学校の教員免許の「国家資格化」を提言する方針を固めた。大学で教員養成課程を履修した後に国家試験と一定の研修期間を経て免許を取得する内容で、現在の医師免許のような位置付けが想定される。教員の資質向上を図るのが狙いで、提言を5月中旬にもまとめ、安倍晋三首相に提出する方針。 

2015年12月21日:中教審が「これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について ~学び合い、高め合う教員育成コミュニティの構築に向けて~ (答申)」を取りまとめ発表した。語学教育に関しては、「ICT の利活用,特別支援教育,外国語教育,道徳など新たな教育課題や,アクティブ•ラーニングの視点からの授業改善などに対応した教員養成•研修が必要である。」との文言が見られる。

2016年03月31日:文科省は「中学校・高等学校における英語教育の抜本的改善のための指導方法等に関する実証研究実施要項」を発表する。これは中学校・高等学校における英語教育が、文科省が2013年12月13日に発表した「小中高等学校を通じた英語教育改革を計画的に進めるための「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」」が依然更なる改善の余地があること、さらには、2014年9月26日に発表された、「英語教育の在り方に関する有識者会議」においては、「国や地方自治体の研究成果や、大学等との連携による質の高い教員養成・研修等に関する情報が蓄積されておらず、それらの効果的な活用がなされていない」との指摘もあったので、「時期学習指導要領の改訂に向けて、中・高等学区のおける英語教育の抜本的改善を図るために、実証研究を実施することになった。

2016年5月19日:日本経済再生本部の第27回の「産業競争力会議」の配布資料として、「日本再興戦略 2016」 の素案が示される。そこでは「第4次産業革命の波は、若者に「社会を変え、世界で活躍する」チャンスを与えるものである。日本の若者が第4次産業革命時代を生き抜き、主導できるよう、プログラミング教育を必修化するとともに、IT を活用して理解度に応じた個別化学習を導入する。大学改革、国立研究開発法人改革を実現し、産学共同研究を大幅に拡大する。世界のトップレベルの人材を引き付けるため、世界最速レベルの「日本版高度外国人材グリーンカード」を導入する」とある。さらには、訪日外国人旅行者数を2020年に4,000万人、2030年に6,000万人とすることを目標としている。

2016年6月1日:JACET理事会が「初等英語教育の強化のための7つの提言― 初等英語教育に関わる教員に焦点を絞って―」をまとめ、文部科学省初等中等局国際教育課外国語教育推進室に提出する。

2016年8月19日:教職課程コアカリキュラムの在り方に関する検討会(第1回)が開かれる。「英語のコアカリキュラムに関して、目安として何単位、あるいは何科目程度を想定しているのか。」というような質問が出ているが、回答は「現在、国の調査研究委託事業において、大学と教育委員会等の連携により御検討いただいている。また、先行したコアカリキュラムのように最低限必要なものと、大学の裁量によって設定いただくものとの仕分けについても検討いただくことになっている。」であり、まだ明確化されてはいない。

2016年8月16日:文部科学省から「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめについて(報告)」が発表される。これは、中央教育審議会・初等中等教育分科会教育課程部会が「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめ」を取りまとめたので、それを発表したのである。次期学習指導要領は、この中央教育審議会の報告をほとんど踏襲するものと思われる。

2017年2月14日:文部科学省から次期学習指導要領の改定案が公表された。これから一か月ほどパブリックコメントを開始する。小学校の学習指導要領案中学校の学習指導要領案が公表された。

2017年6月頃(予定):教職課程コアカリキュラムの策定がされる。

2019年4月1日(予定):免許法及び施行規則の改正に伴い、新教職課程が開始する。2018年4月1日までに認定・指定を受けた教職科目については、改めて2018年度中に認定・指定を受ける必要がある。

 

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文献

伊村元道(2014) 『日本の英語教育200年』 大修館書店

大木充・西山教行編 (2011) 『マルチ言語宣言』 京都大学学術出版会

大谷・杉谷・橋内・林(2015)『国際的にみた外国語教員の養成』 東信堂

成田一 (2013) 『日本人に相応しい英語教育』 松柏社  

望月昭彦(編)(2015) 『新学習指導要領にもとづく英語科教育法』大修館書店

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