日本での言語権(外国人の子どもたちの言語権)

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1815年:言語権という概念の初めは、ウイーン会議での最終議定書に見える。この議定書は、エスニック・マイノリティの言語の公的資料を擁護しようとした最初の国際条約である(出典:冨谷玲子「ニューカマーとの共生と日本語教育)。

1948年:第3回国連総会で世界人権宣言が採択された。

1965年:第20回国連総会で「人種差別撤廃条約」が採択された。

1970年代:中国残留邦人の日本への帰国が始まる。中国帰国者への日本語教育は、1980年代より中国帰国者定着促進センターで行われた。

1976年:国際人権規約(1966年の第21回国連総会で採択・1976年発効)。国際人権規約は、世界人権宣言の内容を基礎として、これを条約化したものであり、人権諸条約の中で最も基本的かつ包括的なものである。社会権規約と自由権規約は、1966年の第21回国連総会において採択され、1976年に発効し、日本は1979年に批准した。なお、社会権規約を国際人権A規約、自由権規約を国際人権B規約と呼ぶことがある。

1978年:日本に一時滞在するベトナム難民に対し、閣議了解で定住許可をする。翌年から定住枠を設け、海外のキャンプに滞在する難民の受け入れを開始する。インドネシア難民に対する適応指導は、アジア福祉教育財団難民事業本部が実施している。

1979年:姫路の難民定住促進センターにおいて支援が始まる。

1981年:日本政府は難民条約を批准する。翌年から発効となる。

1984年:中国帰国孤児定着促進センターが開設される。

1989年:入管法(出入国管理及び難民認定法)が改正され、翌年から施行される。

1989年:子どもの権利条約が1989年の第44回国連総会において採択され、1990年に発効した。日本は1994年に批准した。子どもの権利条約とは、国際人権規約(第21回国連総会で採択・1976年発効)が定める基本的人権を、その生存、成長、発達の過程で特別な保護と援助を必要とする子どもの視点から詳説している。前文と本文54条からなり、子どもの生存、発達、保護、参加という包括的な権利を実現・確保するために必要となる具体的な事項を規定している。

1980年代後半から1990年: 1980年代末から1990年代に来日したニューカマーの多くは大都市の中心部に居住する傾向があった。日本語や専門知識・技術の習得などを目的とした就学生や留学生が全体の半分以上を占めていたのと、特に就学生、留学生が激増した1980年代後半に、日本語学校や専門学校などが多く立地する東京都新宿区大久保や豊島区池袋周辺に多く居住した。併せて、アルバイトの見つけやすさとも密接な関係があり、都心に近い低廉な賃貸住宅がニューカマーの居住場所として好まれた。(Wikipedia 「ニューカマー」から)

1991年:文部科学省はこの年から、公立学校において、日本語指導が必要な外国人児童生徒数を公表を始めている。

1992年:文部科学省は教員の加配措置を始める。

1992年:マイノリティの権利宣言が国連で採択される。

1994年:「中国残留邦人等の円滑な帰国促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律」が成立する。

1994年:文化庁による「地域日本語教育推進事業」(1994~2000年度)

1994年:「子どもの権利条約」を批准する。

1996年:総務省行政評価局は、文部科学省に対して、「就学の案内の徹底」などの平成8年勧告を行った。

1996年:世界言語権宣言(1996年、世界言語権会議で採択)

1990年代後半:ニューカマーの増加に伴い、低廉な賃貸住宅の不足、都市中心部の物価高などの要因も加わって、ニューカマーの居住地は鉄道に沿って近郊へ分散していった。東京方面では隅田川以東の各区と千葉県のJR京葉線沿い、埼玉県ではJR埼京線、JR京浜東北線沿い、神奈川県ではJR東海道線、東急東横線沿いに、それぞれニューカマーの居住地が進展していった。(Wikipedia 「ニューカマー」から)

2001年:文部科学省はJSLカリキュラムを始める。

2001年:文化庁による「地域日本語支援コーディネータ研修」

2001年5月:外国人集住都市会議が発足する。

2003年: 総務省行政評価局は、文部科学省に対して、「就学の案内の徹底」などの平成15年勧告を行った。

2003年:JSLの小学校編が刊行される。「トピック型」と「教科志向型」の2本立てである。

2003年:外国人児童生徒数が多い学校への教員の加配措置(児童生徒支援加配)の実施を始める。

2003年3月:文部科学省は一部の外国人学校卒業者にも国立大学受験資格を認める。

2003年12月:ペルー人の学校ムンド・デ・アレグリア校が開設されて、2004年に静岡県から各種学校として認可を受ける。南米系の学校としては初めての認可である。

2004年4月: 日本経団連は「外国人受け入れに問題に関する提言」を行う。

2004年:『地域日本語学習支援の充実―共に育む地域社会の構築へ向けて』文化庁が発売される。

2005年:文部科学省は不就学外国人支援事業を実施して、「不就学」の実態調査への支援を行った。

2006年:「多文化共生の推進に関する研究報告書」が総務省から出される。

2006年11月:岐阜市のHIRO学園がブラジル人学校としては初めて各種学校の認可を受ける。

2007年3月:JSLの中学カリキュラムが公表されて、義務教育段階のJSLカリキュラムがすべてそろう。

2007年7月:「生活者としての外国人」という概念が示される。文化審議会国語分科会に日本語教育小委員会を設置し,外国人が日本社会の一員として日本語を用いて円滑に生活を送ることができるよう,「生活者としての外国人」に対する日本語教育の内容・方法について計画的な検討を行い,国語分科会として取りまとめた。2010年以降、幾つかのカリキュラムや評価が提示された。

2011年:「多文化共生社会の推進に関する提言」を多文化共生推進協議会がおこなう。

2012年(平成24年)7月9日:出入国管理及び難民認定法の改正法で定められた、外国人に対する入国管理制度である在留カードの制度が施行された。

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