十年一昔(三好先生の思い出)

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三好先生と初めて出会ったのは、もう10年以上も昔のことになります。きっかけは1998年1月31日に行われた、日本アジア英語学会の第2回全国大会(神戸商科大学)でした。私の当日の発表は、「アンケート調査から見たフィリピン大学生の言語生活と言語態度」というタイトルでした。発表の内容は、フィリピンの二つの大学(セントトーマス大学とサンファンドレトラン大学)の大学生の言語意識に関してアンケート調査したことをまとめたものでした。予期した以上にたくさんの聴衆がいる会場で、やや緊張しながら20分ほどの発表をしました。聴衆の反応は、特に良くもなければ悪くもなかったということでしょうか。自分では70点ぐらいのできかなと思っていました。発表のあとは、神戸の町を見物して、翌日、当時住んでいた石川県の津幡町に戻りました。

すると、津幡町の自宅に見知らぬ人からメールが届いていました。その人は「三好重仁」という名前であり東京電機大学で英語を教えていらっしゃるということでした。メールは、なんでも私の発表に興味をいだいて、フィリピンに関して教えてもらいたい、という内容でした。その人と、いろいろとメールのやりとりをしていくうちに、その人はアジアの言語事情に興味をいだいていることが分かってきました。そして、こんど会おうということになりました。

アジア英語学会の第3回大会が1998年の6月27日に白百合女子大学で行われるそうで、その大会に三好先生も参加されるとのことで、その機会を利用して、はじめてお会いしました。温厚な紳士という雰囲気でした。その日は互いに他の用事があったので話す時間はあまりなかったのですが、互いの研究内容について紹介しあって、先生からいくつかの資料をいただいたように記憶しています。

三好先生から、大学英語教育学会(JACET)の分科会である言語政策研究会があって、そこでいろいろな活動をしていることを教えてもらいました。誘われるままに、その年の秋頃に、はじめて参加しましたが、東京電機大学での雰囲気はアットホームで和気藹々と新参者にも優しい雰囲気でした。田中慎也先生、中尾正史先生、長谷川瑞穂先生、藤田剛正先生、岡戸浩子先生、松原好次先生、上地安貞先生がいらっしゃいました(今は、藤田先生は長崎に、上地先生は沖縄に移られて、最近は残念ながらなかなかお目にかかれません)。

私は石川県に住んでいて、毎回参加するのは無理であったが、それでも、できるだけ参加しようと考えました。三好先生からは、例会に関して、毎回丁寧に場所や時刻などが連絡されてきました。当時の私は本を探しによく上京していました。当時は今ほどネット環境が整備されておらず、現在のようにアマゾンですぐに本が入手できることもなくて、本を探すということとなると、自分の足で、三省堂や古本街を訪問する必要がありました。その点で神田界隈は理想の地域でした。隔月ごとの研究会参加と本屋回りは私の大きな楽しみでした。

上京のもう一つの楽しみは、研究会のあとの夕食会でした。三好先生は酒はあまり飲まれるタイプではなかったのですが、場の雰囲気を盛り上げるのが上手で、いつもニコニコしながらみんなの話を聞かれていた姿が思い出されます。

研究会の場所も次第にもっぱら東京電機大学で行われるようになりました。当番校の担当者は大変な負担になるのでしょうが、毎回いやな顔一つせずに場所の設定に尽力された三好先生には本当に頭が下がる思いです。

その年の夏(1999年8月)におこなわれた国際応用言語学会では、ポスターセッションでの発表をすることになり、夏の暑い日の中、汗をかきながら一緒にポスターを貼った思い出も懐かしいものです。「日本の地方自治体の言語サービスに関する研究」というようなタイトルで、各人が地方自治体にヒアリングした結果を発表したのでした。A3の紙を貼り合わせて一生懸命資料を作成していたのですが、三好先生から、ポスターのこの部分は、もう少し色合いを変えようとか、文字の大きさをこのぐらいにと言うアドバイスを受けながら、修正していたことを思い出します。

2000年11月では、大学英語教育学会の第39回年次大会が沖縄国際大学で行われました。言語政策研究会も参加することになり、「世界の言語政策から日本が学ぶもの」というタイトルで発表をしました。発表会場では、三好先生が司会をされていました。かなり多くの参加者がいて、なかなか鋭い質問もあり、私は冷や汗をかいたりしました。それを三好先生の上手な采配できりぬけましたが、それらは今は懐かしい思い出になりました。

私にとっては始めての沖縄訪問でした。大会発表の次の日に、レンタカーを借りて沖縄を回りましたが、米軍基地が広い地域を占拠している実態を見て驚きました。今日の普天間基地の問題などを新聞などで読むたびに、当時の沖縄大会での発表のことが思い出されるのです。

その後、三好先生とはいくつかの本の執筆、藤女子大学や北海学園大学での発表など常に一緒に活動をしてきました。十年一昔とよく言いますが、当時は、三好先生も私も50歳前であり、すこぶる元気だったように記憶しています。

さて、10年前と比べて研究会のメンバーたちも、10歳ほど年を取ったわけですが、変わらぬものは学問への情熱の高さと言えましょうか。ところで、過去10年間の自分の仕事を振り返ると、常に要のところに三好先生がいて助けてもらったと感じます。あらためて、三好先生に対して深い感謝の念を表したいと思います。

(2012-08-02)

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