山岳部の思い出

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川越高校の山岳部に在籍したのは、今から40年ほど前のことである。卒業してから、金沢や京都に住むようになり、母校を訪問する機会はほとんどなかった。しかし、時々は、懐かしい校舎は今はどうなっているのか、正門を入ったところにあった豊かな緑の「くすのき」はまだあるのか、と思い出したりした。

構内の奥にあった山岳部の部室が懐かしい。お世辞にもきれいとは言えない部室であったが、それなりに居心地のいい部屋だった。汗臭い体操服や、書き込みでいっぱいの教科書やプリントなどが目に浮かぶ。練習後に部員達と他愛もない話をして、1,2時間を過ごしたことも懐かしい。今では連絡も途絶えたが、みんなは元気だろうか。

毎日、放課後に部室に集まってから体力増強の運動を行った。学校から近くの神社へランニングをして、そこで腕立て伏せを50回ぐらい、懸垂も20回以上、腹筋も50回以上ぐらい行うのが定番のメニューだった。あるいは喜多院近くの公園で訓練をすることもあった。次の登山に備えて、基礎体力をつけておくこと、山に関する知識を増やすこと、等に訓練の重点がおかれていた。この頃は、毎日毎日、身体が鍛えられていくことを実感していた。

次に、山に登った思い出を書いてみたい。実は、このエッセイを書くために、実家に戻って高校時代の記録や資料を探したが、もうそんな古い資料は残っていなかった。あやふやなことを書くかもしれないが、お許し願いたい。ただ、「山岳部90年史」という貴重なホームページがあるので、それを参考にしながら、思いつくままに書いてみたい。

一番の思い出は、やはり一年生の時の夏山合宿であろうか。「90年史」のホームページを見てみると、その年の記録が簡単に掲載されている。1966年7月26日から8月1日までの一週間ほどの山行であった。南アルプスの荒川岳、赤石岳、聖岳に登ったのである。北から南へと縦走したのか、その逆に南から北へと縦走したのか、記憶が定かではないが、二軒茶屋や三伏峠をはじめに通ってから南アルプスの山々を縦走して、静岡の方へと下っていったような気がする。

この夏山合宿で、3000メートル級の山にいくつも登ったが、幸いなことにほとんどの日が天候に恵まれて、素晴らしい思い出になった。山の頂に立つと、次の山の頂がすぐ前に見えているので、すぐに次の山に行けそうだが、直線でいく方法はないので、当然、何時間もかかってしまう。1000メートルほど下って、それから上へまた1000メートルほど登るという行程であった。みんなでヘリコプターがあればいいな、と言い合ったものだった。2時間ほど歩いて20分ぐらい休むというリズムであったようだ。登りは比較的順調にいけたが、下りは一行のスピードがついて膝ががくがくしてしまうこともあった。すべったり転倒したりするのは、下りの方が多かった。

頂上の近くでは残雪がところどころにあった。雪をお椀にもって持参の粉末ジュースを振りかけて即席の氷めろん、氷いちごをつくってみんなで食べたのも懐かしい。誰1人お腹を壊さなかったことから考えると、雪は清潔だったのだろう。

この年の夏山合宿で(次の年の夏山合宿だったかしれないが)、はじめて雷鳥を見た。誰かが雷鳥だと声をあげるので、その方向を見ると鳥がいた。地味だけど清楚な鳥だなという印象だった。カメラを持っていて映していればいい記念になったろう。

二番目の思い出は、1年生の秋に、他の一年生部員と一緒に二人で武甲山に登ったことである。武甲山は手近なハイキングコースとしてもよく知られていた。個人的な登山だったので、重たい荷物も背負わずに、疲れたら勝手に休むという気楽な登山だった。緑がまだ色濃かった。ところどころに、秩父セメントの石灰石の採掘のために、山の斜面が削られていた。そのことは、当時から登山家達の間で心配の種となっていたが、今はどうなったのであろうか。3年生の卒業記念に再度武甲山に登ったが、途中の道が石灰の粉で一面が白かったのが記憶にある。

三番目の思い出は、一年生の秋(10月10日から11日)に、両神山集中登山を行ったことである。いくつかの班に分かれて登山を行った。我らの班は、訓練のために、テントをはらずに、シュラフだけで寝たように記憶している。この時だったが、先輩が、白楽天の「林間独煖葉」という漢詩の話をしてくれた。「林間に酒を暖めて紅葉を焼く」という句が心に残った。いつの日か、こんなところで紅葉を焼いて酒を飲んだならば、風流なことだろうと思った。先輩は、古典の時間に習った漢詩の話をしただけかもしれないが、高校生のころは、1年の差でも知識量の大変な違いがあって、先輩は風流なことを知っているなと感心したものだった。

一泊の登山となると、夕食後はみんなで他愛もない話をしたものだった。思春期の高校生ならば、異性の話をするだろうが、男子校なので部員のほとんどが女性との付き合いもなく、あまり話題にならなかった。その代わりに、あたりがしーんとしている中で、怪談がよく語られた。たき火の明かり以外は何も見えない中で、怪談を聞いていると、実際に魑魅魍魎どもが暗闇から現れてくるような気がして不気味だった。

この代の部員達の特徴としては、みんな歌がうまかった。無骨な感じの部員達だが、歌を器用に歌うのは驚きだった。テントの中では、部員達が順番に自慢の歌を披露していくのだが、「いつかある日」「山男の歌」「銀色の道」「シーハイルの歌」「エーデルワイス」などがよく歌われた。私は残念ながら音痴なので、もっぱら聞き手であったが、登山と音楽とが強く結びついていることを感じたのであった。歌の上手だった二人の先輩はもう物故されている。

川越高校の山岳部で自分が一番学んだことは何か。やはり自然への畏敬の念を抱くようになったことになるだろう。文明の手の届かない自然の中で、生きる体験をするのは貴重である。木を拾い集めて何とか火をつけて、飯ごうやコッヘルで煮炊きをすることで、自然と人間の結びつきを再確認することができたように思う。

ところで、あの頃は、重い荷物を担いで山に登ったのだが、今は手ぶらで平地を30分歩くのもきつい感じがする。この20年間ほとんど自動車を使ってきたので、足腰が弱くなったのだろう。昨年京都に移住したことを機会に、いろいろな寺社を訪ねて、「歩く」という習慣を取り戻そうと考えている。

(2006-05-11)

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