次男を駅に迎えに行く

2015-09-14

この一週間は次男は合宿で不在であった。長男も留学でずっと不在である。家内と二人で「子供達がいないと静かだけど寂しいな」と語り合っていた。

さて、次男は今日が帰りなのだが、「荷物がたくさんあるので駅まで車で迎えに来てくれ」と次男から事前に言われていた。はじめは「夜の7時頃に来てくれ」と言われていた。この時間帯は微妙な時間帯だ。自分としては夕食に酒を飲まないと調子が出ない。次男を迎えてから夕食を食べて酒を飲もうかと計画した。そしたら、「夜の11時ごろに帰る」と予定変更のメールが入る。それではと夕食を食べるが、後で車の運転があるので、酒は飲めない。さらに予定変更のメールが入り、結局は真夜中の12時ごろに迎えに行くことになった。

夜の12時ごろになると駅前は静かであった。新宿などならば、酔っ払いが暴れたりしているのだろうが、京都の場末の駅までは静かなものである。そんなことを考えながら次男の到着を待っているとやがて次男が階段を降りてくる。一週間ぶりに次男を見る。

次男は長野県のホテルにクラブ活動の関係で一週間ほど合宿したのである。若い学生の合宿であるので珍騒動もあったことと思う。次男の話によると、裸踊りをした人がいたそうだ(すべて裸になって)、また毎年伝統的な行事として部長は尻の穴に花火を入れて火をつけてロケット花火をするそうだ。尻にヤケドする部長もいるそうだ。数年前に同じホテルに泊まったスイッチを壊したが、その箇所が相変わらずそのままでみんなで笑ったそうだ。

こんな悪童どもに合宿の場所を提供してくれるホテルの人たちの寛大な心に感謝する。若い人たちはバカをやりながら成長する。逆に言うと、バカをしなければ成長はできない。ところで、次男は来週はまた合宿という。別の部活動でその合宿に参加するそうだ。「楽しんでこい、ただ、一気飲みだけは避けるように」とアドバイスしたい。


ブログのコメント欄に昔の卒業生からのメッセージがあった。今度、京都に来るので久しぶりに会いたい、というメッセージであった。コメントに対する返信としてメールを送ったが届いたのか心配である。その卒業生の住所を知っているので、そこへハガキで了解の旨の返事を送ったので、なんとか伝わっていると思う。

その卒業生とは、以前、10年ほど前になるが、『日本語が話せないお友達を迎えて』という本を執筆しているときに、情報提供の協力依頼で会ったことがあった。そのときは卒業生の顔は卒業時とほとんで同じ顔であったが、あれからさらに10年ほど経っているので、かなり変化しているかもしれない。こちらの方はすっかり老け込んでしまったので、顔合わせをしてもしばらくは互いに気づかないかもしれない。とにかく、久しぶりの出会いの話はこのブログでも報告するので、期待していてほしい。


このブログはメールを記載していない。昔はメールアドレスも電話番号もホームページに記載していた。それでメールや電話経由で問い合わせを受けたり、あるいは仕事の依頼(雑誌の執筆、講演会、インタービュー)を受けたりしていた。ただ、現在の自分は定年退職が近づいているので、公的な活動からは身を引きつつあり、メールや電話は記載していない。

ただ、しばらくしたら会社でも立ち上げて、私が社長で、家内が副社長、子供達が専務と常務の会社である。なにか儲けたいとも考えている。そのときは、メールや電話番号はきちんと掲載しなければならない。

親父は定年退職してからは会社を作って金儲けをするのだとよく言っていた。椎茸の大々的な栽培をするとか、国道の横に万葉集に現れた草花を植えて万葉園を開設するとか、木工品の販売をするとか、そんな事ばかり言っていた。酒を飲みながらそんな夢物語を語っていたが、もちろん、全く実行しなかったのだが。

私の会社は無農薬の野菜の販売会社はどうかと考えている。少々形が悪くても無農薬・有機肥料で栽培した野菜は結構需要はあるのではと考えたりする。「21世紀を食べる」という名前のサイトを立ち上げてインターネット経由で大々的に宣伝したらと考えたりする。どうだろうか?うーん、難しいかな。

パクソタ
パクソタ

 

 

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デールカーネギーを聴く

2015-06-04

デールカーネギーの本『道は開ける』『人を動かす』の英語の原文を、このところ通勤の途中で iPod で聴いている。原文のタイトルは、How to stop worrying and start livingHow to win friends and influence people である。とても勇気付けられる本である。

アメリカ社会特有の楽天さ、楽観主義は日本人が学ばなければならないものである。「人生は何度でもチャンスがある」というメッセージをこの本は伝えてくれる。抽象的なことを述べるのではなくて、具体的に、アメリカの何々市に住んでいる何々さんの実体験を紹介することで、読者に分かりやすい事例を示している。

授業でも抽象的なことを述べるのではなくて、具体例を幾つかあげて、それを学生がまとめるように形にすべきであろう。異文化理解の授業で「日本社会は対決型ではなくて調和型である」ことを示すならば、そのような事例を3つほど提示する。そして諸外国の事例をも3つほど提示して、両者を比較させる。比較して、何か一般化できる法則を学生に見つけさせる。帰納法を使った授業になる。最初に「日本社会は調和型で、この国の社会は対決型である」と授業の冒頭に言ってしまうと、学生は最初から抽象的な法則を提示されたのではきょとんとするだけだ。発見型の学習にならない。

いろいろなことを考えるが、とにかく自分自身の生きかたにもこの本は役に立つ。自分の年齢だが、まだチャンスはあるという気がしてきた。歩くときは背筋を伸ばして、常に楽しいことを考えて、人と話すときは目をしっかり見ながら相手の話を真剣に聞こう、という気になった。この本を読んで学んだことを箇条書きにすると以下のようになる。

  1. 自分の目標をクリアーにする。何がしたいのかはっきり決める。
  2. 関連した情報を集める。
  3. その情報に基づいて決断をする。
  4. その決断を実行する。

自分の目標は「子供が大学を無事卒業する」であり、次は「所有する家のリフォームをする」である。当面はこのようなことか。そのためには、自分は「金を稼ぐこと」と「健康であること」が大切である。さて、この金を稼ぐことが難しいのだが、できることから始めていきたい。

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新しい授業のあり方

2014-11-29

毎週金曜日に「異文化社会と世界」という授業を行っている。学生が順番に自分の興味の持っている国についてPowerPointを使ってプレゼンを行っている。

それには、いろいろな目的があるが、(1)人前で発表する訓練をすること、これからの長い人生を考えれば、人前で話をする訓練をすることは大切なことである。(2)PowerPointの使い方に慣れることである。あまり技巧に走るのはよくないかもしれないが、印象に残るPowerPoint の使い方を意識してもらいたい。(3)他人の発表を見て聴くこと。(4)対象国について調べること、以上の4点である。

学生の発表を自分はまとめて写真付きでブログに掲載している。それを閲覧して確認するように学生全員に促している。これによって、ある程度は学生に対して発表への動機付けを高めていると思っている。そして、私自身もこの授業の運営の仕方に付いてもいろいろなアイデアが浮かんできた。それは次のような内容である。

次年度からは、この授業のためのブログを立ち上げる。学生Aが発表するときは、学生Bが写真をとり、そのコメントを学生Bがブログに投稿する。順番で担当者は交代していく。ブログへのアクセスは全員ができるものとする。それによって1年後は30回分の発表のブログが完成する。授業の評価は(1)プレゼン発表と(2)担当した時のコメントと(3)最後のレポート提出、これら3点を基準とする。

うまくいくだろうか。毎年、それを記録しておき、自由に外部からアクセス可能にする。学生は過年度の受講者がどのような発表をしたのか、どのようなコメントをしたのか閲覧することができるようにする。その教育的な効果は大いなるものと思う。過年度生の発表の安易な丸写しが起こるかもしれないが、全員が互いに閲覧することで丸写ししたことが一目瞭然となるので、それは歯止めがかかるのではと思う。

ただ、いくつかのルールを決めなくていけない。固有名詞はイニシャルにするかアルファベットで上の名前だけ記すとか、写真は後ろ向きに撮影する。ただし本人の許可があった時は、前向きの顔も出す。コメントは肯定的なことを中心に書く。つまりコメンテーターは自分が何を学んだかを主に述べる、などなどである。このように、新しい授業のあり方を自分は試行錯誤している。

プロジェクトするメリット

2014-10-02

土曜日のオープンキャンパスだが、学生たちが自分たちの学科の紹介をしていた。学生たちは1年生だがなかなか立派に紹介、発表をしていた。この学科の特徴はプロジェクトをみんなで遂行していくことであり、それによって大きく成長していったという内容であった。

そのPowerPointに、プロジェクトするメリットとして、「新しい友達ができた 計画する癖がついた 人前で堂々とはなせるようになった 責任感をもつようになった 自分に自信がついた」ことを挙げていた。

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日本の従来の授業は、教室で教員から学生へ一方通行で話すことであった。それならば、本を読んだり、講義のビデオを見ることでも同様でないか、という声も上がろう。自分の授業では、できるだけ、教員から学生に声掛けや質問をしたりして、一方通行にならないように意識しているつもりだ。アメリカなどの授業は学生も意識的に質問するので、対話形式に近くなると聞いたことがある。そんな授業が望ましい。

日本人の育った文化では、あまり積極的に質問をするのははばかられる。それならば、教員はあまり関与せずに、学生同士が互いに意見を出し合ってプロジェクトを行っていくのは有効であろう。ただ、対人関係を極端に苦手とする学生がいる。そんな学生が古い自分を脱皮して他人と積極的に関われる新しい自分になれるのか、難しいようにも思える。とにかく、様々な学生がいるので、多様な対応が必要ということになろう。