スパムメールが来なくなった。

2015-12-14

昔と比べるとスパムメールの数が減ったと思う。20年ほど前は、山のようにスパムメールが来て、その中から自分に関連するメールを探し出すのは一苦労だった。しかし、プロバイダーのスパムメールを見分ける力が徐々にアップしていき、近年はほとんど来なくなった。

このブログにもコメント欄には毎回沢山のスパムメールが来る。ほとんどが英語のスパムメールである。私のブログに対して英語で「最高のブログだ!自分はとても感動した!」とか「はきよい靴が欲しい人には我が社の靴が最高です」というようなコメントが寄せられる。こんなコメントを世界中のブログにおそらく何万と同時に発信するのだろうと思う。

最近では、日本語で次のようなメールが来た。

それとき人々 一緒に来て一緒に取得と共有します。グレートブログ、良い仕事を続けます!完売これで最後 限定最新入荷

なんだか、自動的に翻訳をしてような文をこのブログに送ってきたのだが、その意図は何か。とにかくこんなことをする時間があるのだと送信相手に感心する。でもGoogle はこんなコメントはちゃんとスパムメールに区分けしてくれているので有難い。自分は簡単に内容をチェックして消去するだけだ。

メールはgmail とyahoo を使っている。精度だが、 gmail は完璧なほど迷惑メールと普通のメールを区分けしてくる。Yahoo も精度が上昇しているが、まだ完全には振り分けてはくれない。

Google 検索は非常に便利である。昔は辞書や百科事典を使って調べたことを瞬時にまたはるかに詳しく調べてくれる。そして、検索の順位が問題である。各企業は検索の順位が上位に来るように必死で対策をしている。

「高性能な車」で検索すると一番下の画面のようになる。先頭に来れば目立ちよく記事が読まれるのだ。自社の車の売れ行きにすぐに影響する。各企業はこのような検索で自分の車が先頭に来るように必死で工作をしている。クリックをしたり、リンク先を増やしたりすると、検索順位が上がるのだが、いろいろな方法を試みている。

だが、Google のアルゴリズムも精度が上がり、意図的に検索順位を上げる方法は通用しなくなっている。Google へあらゆる情報が集まっている。スパムメールなどはすぐに見抜かれてしまう。そして、各自がどれくらいそのサイトを閲覧したかも情報として集められている。その人はどんな人かサイトの閲覧の記録やメールのやり取りの状況からある程度は分かってしまう。

将来は Google が知の世界の王者として君臨するだろう。それは人類にとって祝福か災難か?

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皇室評論家

2015-07-29

私の名前は「河原俊昭」であるが、むかし、「河原敏明」という人と間違えられたことがあった。この人は、皇室関係の本をたくさん出版して、皇室ジャーナリスト、あるいは皇室評論家として世に知られた人である。

むかし、20年ほど前であろうか、愛子さまが誕生されて、女系天皇を認めるべきか否かという議論が新聞なのを賑わした時期があった。ある日、職場に行くと、事務の人がアメリカの放送局CNNから先ほど自分宛に電話があったと言う。不在であると言ったら、後ほどまた電話をかけると伝言を残したと言う。えーつ?自分にはまったく分からなかった。???というところか。

ところで、のちほど私宛にメールが届いた。英文であるが、骨子は「Toshiaki Kawahara という人物を探していて、ようやく見つけた。あなたの皇室に関する本を読んだ。こんど女系天皇についてあなたの考えを知りたいので、CNNの生番組に出てインタビューに答えてくれないか」という内容であった。

ようやく、謎が解けた。自分の名前を英語式に綴ると、Toshiaki Kawahara となる。漢字は異なるが、ローマ字での表記が同じ人に有名な皇室評論家がいる。それで検索すると、Hirohito and His Times といった英文で書かれた皇室関係の本も出版している。CNNはその人と私を間違えたのである。

メールで、次のような内容で返信しておいた。「アルファベットでスペルすると同じ名前になる人がいるので、その人と間違えたと思われる。その人にコンタクトを取ってほしい。自分はその人の電話番号とかメールアドレスは知らない」

Wikipedia で「河原敏明」を調べると、1921年生まれでまだご健在のようだ。現在、93歳で4年前の89歳の時でも本を出している。89歳でも本が書ける若々しい頭脳の持ち主のようだ。

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スパムメール

2015-07-23

このサイトには英語の論文をいくつか載せてある。それゆえに、その英語論文に惹かれて、たくさんのスパムメールが世界中からやってくる。一応は簡単に目を通してから、消すようにしている。今日は以下のような英文で書かれたスパムメールがやってきた。

Today, I went to the beach front with my kids. I found a sea shell and gave it to my 4 year old daughter and said “You can hear the ocean if you put this to your ear.” She put the shell to her ear and screamed. There was a hermit crab inside and it pinched her ear. She never wants to go back! LoL I know this is entirely off topic but I had to tell someone!

翻訳すると以下のようになる。

今日、私は子供を連れて海岸に行った。貝殻があったので、それを4歳の娘に渡して「耳に当ててごらん、すると海の音が聴こえてくるよ」と言った。娘は貝殻を耳に当てていたが、突然悲鳴をあげた。貝殻の中に小さなヤドカリがいて娘の耳をつまんだのだ。ヤドカリはつまんだまま貝殻の中に戻ろうとしなかった。(笑)この話は場違いなのだが、誰かに話したかったのだ!

こんな内容のメールも来る。大半のメールは宣伝のメールなのだが、これは読んでみて面白いメールになるだろう。ところで、このメールを読んで、あることを思い出した。海の音であるが、わたしは2015年の4月20日に梵音海潮音という内容で投稿をしてある。

大宇宙が回転する音は海鳴りの音に似ている、という内容だ。その時には書かなかったのだが、ある昔話を付け加えたい。何十年も昔だが、梵音海潮音についてある女友達に話した。そして、その女友達にお願いして、お腹に耳を当てて中の音を聴かせてもらった。するとお腹の中は、ゴーゴーという音がする。蠕動運動なのだろう。外では聞こえてこないが、お腹に耳をじかに当てると、宇宙が回転するような音が聞こえてきた。自分は思わず、「小宇宙と大宇宙は繋がっている、同じ音だ」と叫んでしまった。

彼女も私のお腹に耳を当てて、なるほどというような顔で「宇宙の音」を聴いていた。さて、その女友達であるが、何十年も会っていない。今は60代の半ばであろう。何をしているのだろうか。

長男から無事到着の知らせ

2015-07-14

月曜日の朝、長男を京都駅に送ったが、火曜日の夕方の5時頃に長男からライン経由でメッセージが届いた。「メルボルンに着いた」「とても寒い」との内容であった。長男が無事到着したので、ホッとした。何とか頑張ってほしい。あと「日本からのSMSメッセージはメルボルンには届かない」とも言っている。

メルボルンはネットで調べると気温は6度である。日本で30度前後の温度に慣れた身体が突然6度前後の環境になったら、これは悲鳴を上げる。真冬の日の6度ならば、今日はそんなに寒さは厳しくないなと喜ぶところだが。ところで、真夏から真冬へ、今は移動にはあまり良くない時期だということが分かった。移動するならば、3,4月の南半球とあまり温度差がない時期が身体にいいようだ。

ところで、メルボルンとはラインはつながるが、SMSメッセージは届かないということはどうしてか。SMSとは携帯番号で送るメールであり、MMS は携帯メールだ。つまり、日本とメルボルンは携帯電話はつながらないが、メールならば送付が可能なのだろう。

ラインも携帯電話でつながっていると思うのだが、似たような機能のSMSではつながらない。それだからこそ、ラインが爆発的に普及しているのか。

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天下茶屋駅周辺を散策する

2015-06-18

木曜日は非常勤講師として大阪のある大学で教えている。いつも早めに家を出発して途中一時間ほどどこかに立ち寄っている。さて、実は、今日は朝の出発前に、学生の英作文の添削をした。学生はメールで英作文を提出することになっているが、いつも授業の当日、直前に送られてくる。それで、今日は早めに起きて学生の英文のチェックをする。2名ほどの学生の課題は私が電車の中にいるときに届く。その作文に関しては添削する時間がないので、来週に返却することにする。

さて、電車の中は、正岡子規の『仰臥漫録』(ぎょうがまんろく)を例によって読んでいる。いつも、「便通及び繃帯取換」という文章を見ると、心が痛む。寝たきりの病人の便通となると、布のオムツの取換になる。現代の老人用オムツのように便利なものがない時代であり、取り換える方も大変だったろうし、される子規も嫌だったことと思う。悪臭が大変だったろうと思う。

明治34年9月14日には次のような文章がある。

「午前二時頃目さめ腹痛し 家人を呼び起こして便通あり 腹痛いよいよ烈しく苦痛堪えがたし この間下痢水射三度ばかりあり 絶叫号泣」

この箇所だが、読んでいて苦しくなり、本を閉じて窓の外を眺める。明治の時代に肺病のために多くの有為な人材が夭折したことを思い出す。樋口一葉とか石川啄木である。現代はペニシリンの発見で肺病は死病ではなくなった。医学の進歩のおかげである。ふと、『雪国』の冒頭で葉子が病人の看病をしていた場面を思い出す。時計職人としての修行をしていた青年が肺病のために故郷の越後湯沢に戻り、そこで死んでいく。戦前に肺病がいかに猛威をふるったかしばし思いにふける。

今日の大阪探検は天下茶屋の駅を降りて、周辺を1時間ほど散策する。難波駅の周辺のように派手な感じではない。昭和の雰囲気が残っているような地域がいくつかある。小さな駅があり、そこに『コーヒールンバ』という名前のカフェがある。なにか懐かしい気がして、写真を撮ってみる。DSCN7583 DSCN7582 DSCN7585

 

 

 

 

そして、しばらくすると大本教の建物が見えてきた。さほど大きい建物ではない。大本教はエスペラントと関係が深い。大本教から出版されているエスペラント関係の本を何冊か読んだことがある。また、金沢でエスペラントの集まりがあったときは、確か大本教の教会の中での集まりだったように思うが、私も参加したことがあった。私は何年か前までエスペラントの学会に入っていた。高い理念の人々の集まりで、英語という大洪水の中で、ノアの箱舟に乗っている人々のようである。この洪水が治ったときに、再び普及への道が開かれるかもしれない。DSCN7586 DSCN7587

天下茶屋駅は大阪の西成区にある。周辺は時代に取り残されたような地域があったり、現代風に模様替えをしている地域もある。ふと、来週は新今宮駅の周辺を訪ねてみたい、と考える。ホームレスの人々が多い地域であり、日雇い労働者向けの安宿が多い地域である。実は、この安宿を目指して、世界中からバックパッカーが押し寄せているそうだ。できたら、安宿の英語表記の看板を見て、何枚か写真を撮ってみたい。そして、西成の国際化というタイトルで論文を書いてみたい。そんな風に考える。

非常勤先ではO先生とお話しする機会があった。来週は学食を体験しようということになる。そのときに、私は自分が分担執筆して出版された本を1冊ほど持参して、O先生に贈呈しようと考えている。

柴田先生の思い出

2015-05-05

言語研究アソシエーション」の代表である佐良木先生から、柴田勝征先生の追悼文集を作成するので、是非とも何か書いて寄稿するようにとの案内メールがきた。柴田先生の一周忌となる11月までには追悼文集を完成させたい意向のようで、編集の仕事を担当される佐良木先生には大変な仕事量となるが、私も是非とも協力したい。

柴田勝征先生は、埼玉大学・福岡大学で教鞭をとられて、退職後これからご自身の研究の集大成を刊行しようとしていた矢先の昨年11月に、突然不帰の客となられた。柴田先生の研究の幅が広くて(語学から算数・数学教育、機械翻訳など)、その学識の豊かさにはいつも驚かされた。その成果は福岡大学の柴田研究室のホームページに今でも残っている(2017年3月末に、そのサイトは消えたようだ)。

また、先生はメールマガジンとして、「言問いメール」を毎週1回ほどの頻度で発行されていた。1997年の1月25日から発行されている。第一回目は「ラテン・クオーターとは何のこと」というタイトルの随筆であった。それ以降、次から次と言語に関する鋭い洞察を含んだ、それでいて読みやすくて分かりやすいメールマガジンを発行された(2017年3月末に、同じく、そのメールマガジンは消えたようだ)。上記のホームページから「言問いメール」のバックナンバーに入れるので、いまだご覧になっていない方は、是非とも訪問されることをお勧めしたい。

柴田先生は多くの方と知り合いで、人的なネットワークも広かった。言語に関する問いかけをするとそれに答える研究者が何人かいて、その反応を紹介しながら、さらにまとめていくという技は見事であった。

個人的には、柴田先生が金沢を訪問されたときに、兼六園を案内したことを思い出す。フランス語では crayonが「鉛筆」、stylo が「万年筆」である話から発展してフランス語に関して色々教えてもらった。フランス語に関して深い知識を持たれた方だな、というのが私の印象だった。また、その日のうちに福岡まで戻る必要があるとのことで、小松空港まで車でお送りしたが、多忙な方であるな、という印象も受けた。

あらためて、柴田先生の「言問いメール」を読んでみると、先生は当時で血圧が高くて240、低くて160 になったという文があった。そのころの自分は血圧など気にしたことがなくて、血圧が240であることの重大さが分からずに記憶にも残らなかった。今、この歳になって、その文を読み返すと、血圧について書かれた箇所に目がいく。あんなにお元気そうに見えたのに、当時から血圧という問題をかかえていたことを知った。

いろいろと柴田先生のことを思い出しながら、このブログを綴っている。追悼文の締め切りは9月1日である。それまでに、何か一つ、思い出を書き上げてみたい。

春田勝久先生の思い出

2015-03-25

先日、研究者仲間(佐良木昌さん)が上洛してホテル・モントレーで私と打ち合わせをした。その時の相談の一つは春田勝久先生の残された資料をどのように活用するかという内容であった。

春田勝久先生は私どもの恩師である。英語表現学会の発表大会で知りあった仲間たちが、春田先生の研究に関心を持ち、いろいろと教えてもらいながら、研究の輪を広げていった。それは今から30年ほど前の話である。当時、ようやく普及し始めたメーリングリストを利用して活発な議論を繰り広げた。その中には、先般、電車の中で急逝された柴田勝征さんもメーリングリスト仲間であった。そのメーリングリストは「春田コーパス」と名付けて会員たちは情報交換をしあったものであった。

その頃、私は春田先生にパソコンの重要性を説いていた。これからの時代はパソコンを使っての研究が必要だからと一生懸命に説得したものであった。そのころの先生の発表は手書きの資料を配布して行っていた。先生と一緒に電機店に行き、パソコン一式を選んだあげたり、また先生のご自宅でパソコンの設定のお手伝いをしたことも懐かしい。

その頃で、すでに相当のお年を召されていたのだが、それ以来、春田先生は熱心にパソコンの使い方を勉強された。やがて、メールを使い始めご自身の資料をデジタルで管理されるようになった。

春田勝久先生は北陸地方の大学で教鞭をとられるかたわら、熱心に英語の本を読み、面白そうな語法を見つけるとカードに書き写していた。先生の40年以上の読書の中で作成したカードは数万枚以上になると思われる。項目ごとに管理されておられた。私は「形容詞の配列」というテーマで論文を書いている時に、先生からたくさんのカードをお借りして参考にしたことがあった。名詞をどのような順番で形容詞が形容するかという点で、先生の先駆的な資料収集はとても参考になった。

その後、先生の資料を基にして、参考書を執筆しようとの話が持ち上がり、佐良木さんと私が分担執筆をして、先生が全体的な監修することになった。この当時、先生はすでに胃瘻で栄養補給をされており、体調は万全ではなかったが、原稿全体に熱心に目を通してくださり、的確なコメントをたくさんいただいた。この執筆は数年がかりであったが、2010年に、『大学生のための英単語・文法ノート』として明石書店から発刊された。が、春田先生は発刊から数か月で他界された。先生の生きているうちにこの本がなんとか刊行されて、その点は良かったと思うが、先生が監修の作業をされたことで寿命を縮めたのではとも考えたりする。

2009年に、佐良木さんと私とで最後に先生の家に訪問した時は、先生はかなり痩せられていたが、元気で語法に関する自分の発見を我々に語ってくれた。当時はすでに胃瘻という形で栄養補給をされていたのだが、自宅の勉強部屋には語法に関する本をたくさん積まれて、相変わらず熱心に研究をされていた。その姿には鬼気迫るものを感じた。

先生の他界された後は、その資料一式は先生のご遺族の方のご好意で我々が譲り受けることになった。ひとまず、佐良木さんの自宅の研究室に置くことになった。その後、その資料、特に数万のカードをどのように活用するかという点で、佐良木さんとよく話し合いをした。現在のところは、私のブログの「資料紹介」の項目に「春田コーパス」として紹介してある。また、佐良木さんは、ホームページ「NPO 言語研究アソシエーション」にて、「公開言語資源」の一部として紹介している。

まだ、まだ春田先生の研究の一部しか紹介できていないので、ホームページやブログに上げながら、資料を整理整頓していく予定である。私が定年退職したら、かなり時間ができるので、先生のカードをスキャーに読み込んで、それをデジタル化したらどうかとも考えている。コーパスのデジタル化の時代にあって、春田先生のような手書きでコツコツと溜め込んできたデータは大変貴重なので、これをなんとか活かせるようにしたいと佐良木さんと私は努力している。