「詩の技法とその翻訳ー英語教育の視点から」を発表する。


昨日は、久しぶりに学会(思考と言語研究会)で発表をした。2015年に前任校を定年退職してから、学会発表の機会にあまり恵まれていなかったが、久しぶりに発表となった。やや緊張して時間配分が分からなくなり、時間オーバーになってしまい、慌ててまとめたので、思うことの半分も語ることができなかった。

その点は残念ではあるが、発表のために資料を揃えたり、事前に頭の整理整頓をしたので、自分には勉強になってよかった。

さて、会場の雰囲気は以下の写真の通りである。発表をされているのは佐良木昌先生で「日英翻訳のための和文型の換言方式」というタイトルで発表されていた。

会場の様子(発表者は佐良木先生)

午後の一番からが私の発表だ。タイトルは、「詩の技法とその翻訳ー英語教育の視点から」である。自分の問題提起は、詩の美しさを機械翻訳で伝えることができるか、であった。

詩の美しさは形式と内容の統一にある。内容に関しては翻訳は可能だろう。しかし、形式は翻訳は不可能である。そもそも詩は元来は朗読されるものである。英語詩ならば、強弱の拍や脚韻の響きで聞き手は詩の持つリズムを感じるのだ。このような詩は日本語に直して伝えることは非常に難しい。

朗読された詩だが、文字化されると翻訳可能性が高まるようだ。現代では、詩は読む詩として鑑賞されることも増えた。上田敏の訳詞などを紹介しながら、英米の定型詩は日本語ならば、5音や7音で翻訳することで、定型詩から定型詩への翻訳が可能になる。定型詩を自由詩の形で翻訳するよりも、やはり日本語の訳詞にもある程度の形式的な縛りが必要だろうとの趣旨だ。

そして、英語教育の場においても、学生に英語詩を日本語の詩へと翻訳させる試みは有益であり、それにより学生は日英両語の音声形式や意味の違いを知り、言語の気づきへと結びつく、という趣旨であった。

しかし、自分の発表は話しているうちに、所々詳しく説明しすぎて発表が半分ぐらいのところで、司会の先生から、「あと5分」という掲示を示されて、焦ってしまった。結果としては、自分の発表はまとまりのないものとなったが、今度いつか詳しく論文の形でまとめてみたいと考えている。

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定型詩と自由詩の翻訳について


詩が美しいというのは何故だろうか。まず内容の美しさがある。雄大な自然を描写した詩は美しい。母親の子どもへの愛情をうたった詩は美しい。

これらの詩はある程度、描写がまずくてもそれなりの感動を与えるのである。稚拙な表現でも、「素朴な表現の中に真実性が見られる」とか、「荒削りの表現が生きている」とかなんかと言って褒め称えることが多い。

これが、スラム街の描写だとか、育児放棄の詩ならば、いくら表現が巧みでも人に美しいと思わせたり、感動を与えることはないであろう。

フランスのボードレール?だったかの詩に犬の死骸を描写した詩があった。読んで気持ち悪くなったが、詩人というのは、いろいろな実験をするのだな、と感心したことがあった。

詩の内容に関しては、過去の詩や歴史上の大事件などに言及して価値を高めることがある。和歌における本歌取りなどはその例である。過去に書かれた詩が喚起するイメージをも、取り込むという点で、イメージを重ねたり広げたりすることができる。

このように内容は詩の価値を決定する一つの要因であるが、形式の詩の価値を定める大きな要因である。

詩は読むのか、聞くのか。読む場合は、漢語が多いな、とか、カタカナが多いな、という感想はいだくだろう。聞く場合は、リズム感が大切である。文字が5・7調とか、7・5調とかで並んでいて、5・7調は力強く、7・5調は優雅というような解釈もある。

英語の詩では脚韻がそろう。英語に限らず、西洋の言語のほとんどがそうであり、定型詩が主流であった。それに対する反発から自由詩も生まれてきており、現代では自由詩が主流である。

1886年にアルチュール・ランボーの詩集『イリュミナシオン』に「海景」Marineと「運動」Mouvementという自由詩が掲載され、これがフランスにおける近代自由詩の誕生と見なされている。

アメリカでは、近代自由詩の創始者といえるウォルト・ホイットマンが1855年に詩集『草の葉』を刊行して、フランスに先駆けて自由詩が本格的な成立を始めた。『草の葉』では、従来の英語詩の韻律を大胆に排し、行分けの散文が試みられた。

詩の世界では長らく定型詩が盛んであったが、19世紀の後半から自由詩が試みられきた。定型詩は古典的な秩序だった調和的な世界を醸し出す。自由詩は近代的で奔放な精神を表すと言えよう。

詩を定型詩と自由詩に分けるならば、日本語に翻訳する場合は、どちらが難しいだろうか。どちらも難しいのだろうが、定型詩を訳すときには、定型という制約は日本語にも課するべきだと思う。

西洋の自由詩は日本語でも自由詩に翻訳すべきである。定型詩は日本語でも定型詩で訳すべきである。つまりは5・7調とか、7・5調である。ただし、和語ならば比較的に5・7調や7・5調に納めやすいが、カタカナ語や漢語は納めにくいという特徴がある。

定型詩の魅力は内容と形式の両方にある。内容だけに注目して、自由詩で日本語に訳するのは定式の持つ美しさを切り捨てることになる。

結論を急ぐが、英詩の大半をしめる定型詩を訳す場合は、日本語は何かの形式を取り入れる必要がある。それは自由詩ではなくて、5・7調とか、7・5調の口調であろう。

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幼児に音を意識させること。


子どもに英語の音を聞かせて「繰り返してごらん」と言っても、あまりのらないだろう。そのようなときは、音遊びをすることがよい。音遊びとの一つとして、韻を踏むことの面白さを教えることがいい。

音を聞いて見つけてみよう!仲間はずれはどれかな?

dog/fog/cook
bin/tin/win/can
park/turn/dark/mark
boy/soy/toy/day/joy
mop/drop/cup/crop/stop

この様な問いかけを通して子どもは英語の音の類似性に関心を持つようになると思う。当然、知らない単語がかなりあるが、この音とこの音は何か似ているな、という間隔がつかめればいいのだろう。日本語では、しりとり遊びがある。また「しゃれ」を使っての言葉遊びがある。英語でも、そのようなゲームや遊びを重ねることで、英語の音に関する鋭い感覚が養われる。そしてそれは英詩の理解や、子供用の童謡の理解にもつながる。

英語でも、音声に関する興味を脚韻から入ってゆくことも面白い。絵本なども韻文がいくつかある。それらは脚韻が踏んであるのが普通だ。アリスの不思議な冒険では、次のような言葉が出てくる。

‘How doth the little crocodile
Improve his shining tail,
And pour the waters of the Nile
On every golden scale!

‘How cheerfully he seems to grin,
How neatly spread his claws,
And welcome little fishes in
With gently smiling jaws!’

とくに内容のある文ではないが、言葉遊びの上からは楽しい。この小説が書かれた頃は(1865年)は、物語とは読むものではなくて、語るもの、そこにはナンセンスな言葉ではあるが、要は言葉は楽しく、耳で心地よい文が好まれたようだ。この文は1行目と3行目、2行目と4行目に韻が踏んである。

子どもたちがよく歌うきらきら星の歌も韻がたくさん踏んである。

Twinkle, twinkle, little star,
How I wonder what you are!
Up above the world so high,
Like a diamond in the sky!

When the blazing sun is gone,
When he nothing shines upon,
Then you show your little light,
Twinkle, twinkle, all the night.

Then the traveller in the dark,
Thanks you for your tiny spark,
He could not see which way to go,
If you did not twinkle so.

In the dark blue sky you keep,
And often through my curtains peep,
For you never shut your eye,
Till the sun is in the sky.

As your bright and tiny spark,
Lights the traveller in the dark,
Though I know not what you are,
Twinkle, twinkle,little star.

以下は、Twinkle, twinkle, little star の歌詞である。各連とも1行目と2行目、3行目と4行目は脚韻が踏んである。これらの詩を聴く経験を通して、詩の美しさには内容だけでなくて、形式も完成するという意識が生まれてくる。

ところで、私自身が聴いてみたのでは、自分には各行の脚韻を意識できるほどの英語の語感はない。これは小さいときから、nursery rhyme に数多く親しんでいる英米人の子どもならば、無意識的でも、意識的にも脚韻のもたらすリズム感を聞き取って心地よく感じるのである。日本人の子どもでも、冒頭に示したようなゲームを重なることで、ある程度は rhyme に慣れるようになり、将来、歌や詩を鑑賞するときに役立つだろうと思われる。

脚韻について考え始めている。


今度、3月19日にある研究会で発表をすることになった。自分は今までは言語政策とか英語教育に関する発表をしてきたのだが、前任校を定年退職したことを機会に別のことを発表したくなった。それは、英語の詩を日本語に翻訳する場合は、脚韻はどうするのかという点に最近関心があるからだ。

日本語で書かれた韻文は脚韻はあまり意識されない。ただ、テレビのコマーシャルや芸人の流行口上に韻が踏まれることがある。「セブン、イレブン、いいきぶん」とか「ラーメン、つけめん、僕イケメン」とか「さんまのまんま」などは覚えやすい。リズム感がでるのは、やはり脚韻を用いているからである。

しかし、一般には日本語は脚韻を用いるのは難しいとされている。日本語は開音節で最後が母音でおわるのだが、母音は5つしかないので、同じ母音がきても韻を踏んでいるという感じがしない。滅多に現れない音同士が現れると、音の共通性を強く意識できる。子音+母音あるいは母音+子音が同じならば、数は少なくなるから、韻が踏んであるという感じは出る。上の例で言えば、「ブ+ン」という構造が互いに共鳴しあったのである。しかし、日本語では脚韻を踏むのは難しいという点は変わらない。

岩波書店の『逆引き広辞苑』を今見ている。適当に何かを作ってみる。「岩倉、大柄、あぐら、山上憶良、桜、もぐら」などを選び出し、「大柄な山上憶良が岩倉で、あぐらをかいて、もぐらと桜を見ていたら」というようなナンセンスな文を作ることができる。「から」「くら」などが続くので韻を踏んであるなという気がするが、相互の音の関連性は強くは感じられない。

さて、韻文であるが、外国語の韻文を翻訳を翻訳するときだが、韻を踏むべきかどうか迷う。日本語に訳すときは脚韻は無視している。白雪姫のドイツ語の原文で、悪い女王が世界で一番美しいのは誰かと鏡に訪ねる場面がある。そこは、以下のように韻が踏んである。

“Spieglein, Spieglein an der Wand,
Wer ist die Schönste im ganzen Land?”

“Frau Königin, Ihr seid die Schönste hier,
Aber Schneewittchen ist tausendmal schöner als Ihr.”

これは日本語に翻訳すると、どうなるか。菊池寛翻訳(http://www.aozora.gr.jp/cards/001091/files/42308_17916.html)では以下のようになっている。

「鏡や、鏡、壁にかかっている鏡よ。
 国じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」

「女王さま、ここでは、あなたがいちばんうつくしい。
 けれども、白雪姫は、千ばいもうつくしい。」

初めの2行では、「鏡よ」「おくれ」とあって、韻は踏んでいない。次の2行では、「うつくしい」という語が二回使われているので、音はそろう。しかしこれは韻を踏んでいると言っていいのかどうか、微妙である。

ここでは、西洋語同士の場合は、どうであろうか。英語ならば、 以下のように韻が踏んでありリズム感が出てくる。

‘Mirror, Mirror on the wall,
Who is fairest of us all?’        

‘Queen, thou art fairest here, I hold,
But Snowdrop is fairer a thousandfold.’

(出典:https://www.gutenberg.org/files/37381/37381-h/37381-h.htm)

これはフランス語では、上の二つは韻が踏んであるが、下の二つは韻は踏んでない。おそらく翻訳者は努力したのであろうが、韻を踏む適切な語を見つけることができなかったようだ。

Miroir, miroir joli,
Qui est la plus belle au pays?

Madame la reine, vous êtes la plus belle ici
Mais Blanche-Neige est encore mille fois plus belle.

(続く)

 

『大伴家持』を読む。


藤井一二先生(松蔭大学特任教授)が『大伴家持』という本を中公新書として出版された。この本をご恵贈いただいたので、ここに紹介したい。

藤井先生は長く日本史の研究をされて、幾つかの大学を歴任され、現在は松蔭大学特任教授として教鞭を執っておられる。先生のこれまでの数十年の研究の成果がこの本に結晶化していると言えるであろう。

さて、自分の感想だが、自分は日本史の専門家ではないので、素人としての感想になってしまうが、その点はご海容いただきたい。

さて、自分は「歌を詠む」ということはかなり個人的な活動だと思っていた。自分の個人的な感情を密かに詩歌にして自分が満足する、というイメージを持っていた。

しかし、この本を読むとその認識は訂正する必要があるようだ。「歌を詠む」というのは当時はきわめて公的な活動である。何か儀式があるとその儀式の締めとして歌が詠まれる。この時代の人は宴会が好きだったようだ。その席では歌を詠むことが必修である。歌の上手下手がその人の人物評価にもかなり影響しそうだ。

宴会で歌を詠むことは、現代社会で言えば、会合で議事録を記すこと、と同じような意味合いだったようだ。さらには、現代の旅行記、日誌、風景画、植物図鑑、カメラやビデオ撮影と似たような要素がある。万葉集もそのような視点から読み直すと、面白そうだと感じた。

歌の持つ公的な要素、その当時の貴族社会を機能させるための重要な基盤であったことに気づいた。現代の我々が持っているスマホがこれと似ている。スマホは、何かを記録し、何かを人に伝え、過去の文を読んだり、視聴する。「歌を詠む=スマホを用いる」と私は勝手に解釈する。

あと、自分が知ったことを幾つか挙げてみたい。

(1)大伴家持は薩摩の国司に赴任した。太宰府だけではなくて、薩摩まで足を伸ばしたことは知らなかった。
(2)東北地方の平定に向かい、持節征夷将軍に任じられた。大伴家持には武将としてのイメージはなかったのだが、そんな仕事までもさせられたのかと驚いた。
(3)彼の生きた時代は橘仲麻呂の反乱などいくつかの生臭い事件があったが、彼は上手に泳ぎわたり、連座などで致命的なダメージを受けることはなかった。
(4)「越中」というのは家持の時代は、能登半島も含まれていた地理概念であった。能登半島には彼が視察して幾つかの歌を残しているが、てっきり彼の能登訪問は趣味の旅行と私は思っていたが、そうではなくて、ちゃんとした彼の仕事の一部であったことを知った。


大伴家持は色々な地域に住んだことがあるが、「北陸」はその中でも重要な地域になる。藤井先生は家持に関するこの本の中で、北陸での滞在を主に研究して得られて知識を縦横無尽に駆使されている。

DVD『ゲド戦記』を見る。

DVD『ゲド戦記』を見た。面白いDVDであり、飽きないで最後まで見ることができた。ストーリーは結構難しいところがあり、全体像はよくはつかめない。でも、自分が面白いと思ったのは、まことの名前を知ると、その人を支配できるという点だ。

このストーリーでは、アレンという名前の男の子が主人公だが、魔女クモに、まことの名前を聞かれて、薬を飲んだせいか、「レバンネ」と言うまことの名前を教えてしまう。それゆえに、魔女クモに精神を支配されてしまう。そして悪党どもの一味に入ってしまう。

女主人公である、テルだが、最後の場面で、アレンからまことの名前である「テハル」と呼びかけられると本当の姿である龍に変身して、二人は高い塔から脱出できる。

まことの名前を知ることで、相手を支配したり、相手に本当の姿を見せるようになる。この概念はかなり古くから、しかも世界中で普遍的に見られる。

フレイザーの『金枝編』では、小さな子どもを守るために、普段使うのは、あだ名を用いる。抵抗力のまだ弱い子どもは、本当の名前を知られると簡単に支配されてしまう、と考えられている。それゆえに、悪霊の潜んでいそうな沼や森の近くでは、決して、子どもたちの本当の名前を呼ばない。

万葉集の冒頭の歌、雄略天皇の歌として次の歌がある。

籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(なの)らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(お)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも

下線部の「名告らさね」(名前を教えて下さい)であるが、相手の名前を知ることは相手をコントロールする、深い仲になることを意味する。つまり、求婚の歌なのである。そして、自分の名前も教えている。これらは、当時の人々の盛っていた言霊の感覚、名前の持つ神秘性がうかがえる歌である。

現代でも、恋人の名前を教えるのはためらう。つまり恋人の名前を知られると、その人に恋人を支配されて、恋人を失うかもしれないという恐れであると思われる。

年上が タイプだけれど もういない

2015-11-23

ネットでヤフーニュースを見ていたら、シルバー川柳があり、そこで面白い川柳がいくつか披露されていた。私が一番面白と思ったのは、92歳の高齢者の作った川柳 「年上が タイプだけれど もういない」である。たしかにその歳になったのでは、相手をしてくれる年上女性はいないであろう。

私のタイプは年上か年下かは、置いておき、私の歳になるとロールモデルがいなくなる。人間は誰でも「この人のようになりたい」と目標にする人がいる。自分が若いころは立派な学者になりたかった。あこがれる人は加藤周一であった。この人は、古今東西の書に親しみ、自然科学も人文科学も社会科学も精通している。しかも英独仏と3言語をよく理解する。知の巨人としか言いようがない。

最近の自分は目が腫れぼたくなり、目の下に袋みたいのものができている。加藤周一の顔も目の下に袋みたいなものができている。鏡を見るたびに、自分は加藤周一に似てきた、と結構喜んだものである。若いころはこの人の本をよく読み、文体もこの人の真似をしようとした。

外国人ではルーマニア出身の Mircea Eliade という宗教家・思想家が好きだった。この人のように世界を動き回りながら、卓越した本を書いていきたいと考えていた。

ただ、このような人たちは遠くから見て憧れるだけだった。自分のロールモデルとなるのは、身近にいて、一挙手一投足真似ができる人である。会社員時代とか、教員になりたてのころは身近にそのような人がいて、一生懸命その人の真似をしようとした。

困ったのは、この年になると、そんな人たちは身近にもういないことである。モデルとしたい人がいないのである。自分は今60代の半ばである。自分のロールモデルとなる人は10歳か20歳ぐらい年上の人になる。しかし、そんな人たちは、寝たきりとか認知症の人が多くて、ロールモデルにはならない。

ロールモデルはとても大切である。自分は女子大に勤務しているが、大学ではよく社会で活躍している女性に講演をしてもらう。つまり学生たちにロールモデルになりそうな女性を身近なところで見てもらい、これからの人生の参考、アイデアを得てもらいたいのである。

話は飛ぶが、イスラムの貧しい地域に住む少年たちにとって、ロールモデルになるのは、自爆した先輩たちなのである。貧困ゆえに過激思想に走った少年たちにとって、真似ができる成功した大人は身近にいないのである。大人たちはみんな貧困に喘いでいる。ロールモデルとしたい大人に会えないのである。すると、そのコミュニティーの中で、最も讃えられているのは自爆テロした若者である。幼い少年の心にはそのロールモデルが焼き付けられる。

イスラムのテロをなくすためには、少年たちに自爆テロ者以外のロールモデルを与えることである。そのコミュニティーの中に成功した実業家、タレント、スポーツ選手、医者・建築家などの専門職の人たちがロールモデルになるようにすればいいのである。そのような人はまだ育っていない。社会に富が蓄積されるまでしばらく待つ必要がある。


最後に、シルバー川柳で面白いものをさらにいくつか紹介する。出典は http://www.mag2.com/p/news/123524

「歩こう会 アルコール会と 聞き違え」
「LED 使い切るまで 無い寿命」
「起きたけど 寝るまでとくに 用もなし」
「改札を 通れずよく見りゃ 診察券」
「恋かなと 思っていたら 不整脈」
「マイナンバー ナンマイダーと 聴き違え」
「アルバムに 遺影用との 付箋あり」
「LED 絶対みてやる 切れるとこ」
「立ち上がり 目的忘れて また座る」
「湯加減を しょっちゅう聞くな わしゃ無事だ」

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