国際語としてのエスペラント

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国際語としてのエスペラント

19世紀のおわりごろに、当時ロシア領だったポーランドに住むザメンホフがエスペラントという人工語を考案した。この言語の特徴として、簡単な文法規則からなっていること、派生語が規則的なので語幹を覚えれば自然と語彙が増えること、どの民族に属さなくて中立的な言語であること、等があげられる。そのために、一時期は、世界中にかなり普及した言語である。

しかし今、エスペラントを知っている人は何人ぐらいいるだろうか。先般、授業の時にエスペラントを知っているかと聞いてみたら、全員が知らないと答えた。最近は話題に上ることも少ないようである。

しかし、エスペラントは数十年前までは、有力な国際語の候補であった。しかし、近年の急速な世界の言語事情の変化が影響を及ぼす。現代では、英語が国際語としての地位を占めたので、英語以外の言語を国際語として見なすのは難しくなってきている。だからと言って、エスペラントにはもう将来はない、と必ずしも考えるべきではないだろう。それは、時代の流れによっては、中立的な言語であるエスペラントが国際語として機能するようになる可能性はあるからである。ただし、それには条件がある。一つの超大国の言語が世界に君臨するのではなくて、いくつかの有力言語が互いに国際共通語としての地位を競いあうような時代が来ることである。どの言語も唯一の国際共通語になれない時代は、中立的な人工国際語が注目される時代なのである。

そのことを人工語の歴史を振り返って確かめてみよう。人工語が盛んになった時期は、ヨーロッパでは、過去に2回ほどあった。第1回目は17世紀頃である。当時、エリート層の共通語であったラテン語の衰退が始まり、知識人の間では、新しい共通語の必要性が痛感されていた。それに応じて、自然語とはまったく異なり、合理的で普遍的な言語を人工的に作り出そうとする動きがおこったのである。アタナシウス・キルヒャー、ジョージ・ダルガーノ、ヨハン・ヨアヒム・ベッヒャー、ライプニッツ、ジョン・ウィルキンズたちが普遍言語を提案した。しかし、これらは一見合理的だが、きわめて思弁的な言語であり、実際の運用には不都合なものであった。やがて当時最も有力な国家の言語であったフランス語が徐々に共通語の位置を占めるようになり、それにつれて人々の人工語への関心は薄れていった。

次に人工語が盛んになったのは、19世紀から20世紀にかけてある。その時期は、国際共通語としての地位がフランス語から英語に移っていく時と重なる。1879年に、シュライヤーはヴォラピュクという新言語を考案する。1887年に、ザメンホフがエスペラントを発表した。さらに、イディオム・ネウトラル、イード、インテルリングァなどさまざまな人工語が考案された。これらの人工語の中で、一番有力なのはエスペラントであった。

しかし、英語が国際共通語としての地位を確立してゆくにつれて、人工国際語の意義は終わったと見なされることも多くなってきた。現在、各国の国際人工語の運動は、会員数の減少、会員の高齢化に悩んでいる。

しかし、歴史が教えるように、国家の覇権には変動がある。覇権が移るときには、国際語の座に空白が生じるだろう。その時は、人工国際語が、脚光を浴びる可能性がある。現代のアメリカの覇権も長い歴史の上では、やはり一時的な現象であろう。10億以上の人口を持つ中国やインドの言語文化が今後は勢いを増すかもしれない。有力言語どうしが拮抗状態になれば、エスペラントのような中立的な言語にチャンスがまわってくる可能性がある。とにかく現在という瞬間だけを見て判断をしてはいけないのである。

ところで、人間は何ゆえに言語を人工的に作ろうとしたのであろうか。この発想が生まれたのは西洋であったが、それには、いろいろな理由があるが三つほど挙げてみたい

一つめとして、完全な言語を求めようとする西洋の伝統が挙げられよう。西洋には伝統的に、「人間は不完全な言語を用いているがゆえに、誤解や争いが起こる。完全言語では、文が曖昧な意味を持つことはあり得ない。完全言語を用いれば、人間同士は互いに完全に理解しあえて、平和になるだろうし、完全言語で思索をすれば、正しい推論ができ、学問も進むだろう」との考えがある。たとえば、日本語の「結構です」には、場面によって、OKの意味かNoなのか、判断に迷う場合があるが、完全言語ではこのようなことは起こらないのである。

しかし、いつの時代にも、言語は完全ではない。それゆえに、過去の時代(しばしば太古の神話の時代)に求めるか未来に求めることになる。神話時代の完全言語を発見することは、難しいので、未来に求めようとする。つまり、完全言語を未来に向けて作り出そうとしたのである。

人工語の歴史を調べてみると、完全言語という概念は、ヨーロッパでは13世紀ぐらいから登場したようである。それ以来、自然の言語は不完全であると考えて、完全言語を作りだそう、少なくとも、現在の言語の改善を目指す動きが絶えず続いてきた。東洋には、このような発想はあまりなかったようだが、この点は東洋と西洋の言語観の大きな相違となろう。

二つめとして、共通の言語を求める伝統が挙げられる。様々な国が互いに交流していたヨーロッパでは、実用的な理由から共通語が求められいたのである。それに加えて思想的な背景もある。創世記のバベルの塔の物語は、太古の時代には、人々の言語は共通であったが、神の怒りに触れて、言語の分裂が始まったと述べてある。西洋では、本来は人間の言語は共通であったが、何らかの原因で分裂した、との考えが伝統的にある。それゆえに、言語を本来のあるべき姿に戻そうとする考えが当然生まれてくる。

これは、世界の言語にはなにがしかの共通性があり、この共通性(普遍言語)を見つけ出すことは可能であるという確信と結びつく。チョムスキーは英語という自然言語の研究を媒介にして、言語の法則性を見つけだし、普遍言語(普遍文法)を見いだそうとしたのである。彼は個々の言語はこの普遍文法から由来したと考えている。

言語類型論は、広く世界中の言語を比較検討することで人間の言語が持つ共通特徴を探り当てようとする学問である。そのような共通特徴は言語的普遍性(language universals)と呼ばれる。この研究も、普遍性の存在を確信する西洋の伝統と結びつく。

共通語を創造するとすれば、この普遍言語とできるだけ近いものにしたいという考えは当然生まれてくる。そして完全言語と普遍言語とはイコールであると考える人も多くいる。

三つめとして、中立性という点が挙げられる。人工語はきわめて公平である。どの国にも属さないという点、歴史性がないという点が、国際間の共通語としては長所となる。現代のように、国家間の利害関係がするどく対立するような時代は、共通語を選ぶ際には、中立性という点に最大限の配慮が払われる必要があると考える人も多い。これは国家間の対立から二つの世界大戦を経験してきた西洋社会の実感であろう。

このように人工語の歴史を見ていくと、西洋人の言語に対する考え方がはっきりと見えてきて面白い。なぜ、東洋にはこのような考えが生まれなかったのか、おそらく中国文明の影響の大きさがあげられるだろう。なんと言ってもアジア、とりわけ東アジアでは、中国が中心であり、漢語以外には共通語が考えられなかったからであろう。

人工語は何千と考案されてきて色々と面白いものがある。ガリバー旅行記にも面白い人工語の話がある。ここで、興味深い人工語を一つ紹介したい。1817年にフランス人の学校教師J.シュードルが音楽言語「ソルレソル」を発表した。言葉ではなくて、音楽を用いて国際語を作るのである。用いる素材は、音名のドレミファソラシド(do re mi fa sol la si do)である。口を使うのではなくて楽器を用いるのである。一音声の音ならば、それぞれの音の高さに応じて、si (はい) do(いいえ)  re(そして) mi (または) sol(あなたの)との意味になる。月日に関連する語彙ならば普通は三音節で、doredo(時) doremi(日) dorefa(週) doresol(月) dorela(年) doresi(世紀)などとなる。

ある概念の反対の概念は、音の順序を逆にして作られる。domisol(神)を逆にして solmido(悪魔)が作られる。misol(善)ならば solmi(悪)、 sollasi(あがる)ならば silasol(下がる)という具合である。

さらに、同じ語でも、アクセントの位置で品詞が定まってくる。「(憲法などを)制定する」という意味のsirelasi は、動詞の時はアクセントはないが、これが、名詞ならば si’relasi、現在分詞ならばsire’lasi、形容詞ならば、sirela’si、副詞ならばsirelasi’となる。 そんなことで、「神は時を定めた」を意味するのは、“domisol  sirelasi  doredo”となる。ピアノを打って音を確かめてみると面白い。これで本当にコミュニケーションができるのか首を傾げたくなるが、そんな発想をした人がいたことは興味深いことである。

(2006-12-30)
参考文献
二木紘三 1981 『国際語の歴史と思想』(毎日選書)

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