2015-03-24
今日は寒い日であった。急に思い立って本能寺を訪ねることにした。織田信長が明智光秀に襲われて自害した本能寺は、堀川にあったが、その後、豊臣秀吉の命によって現在の市役所近くの本能寺に移転されたという。私の予定としては、まず、本能寺跡を訪問して、その次に現在の本能寺を訪れることにした。
32番系列の市バスに乗り、「四条堀川」のバス停で降りる。まず、堀川高校に向かう。堀川高校は京都でも名門の高校であり、近代的なビルディングの校舎であって、高等学校という感じはしない。その校舎を一周して裏手に向かう。途中で「空也堂」という空也上人が開いたというお寺があった。一応、写真を撮っておく。
さて、ようやく、本能寺跡という石碑を見つけた。昔、本能寺があった場所は、堀川高校の本能寺館と老人ホームが建っている。これら近代的なビルの間を歩いてみるが、ここで信長が自害したということはイメージができない。ふと、老人ホームをのぞくと、老人たちが食事をしていた。
次に、移転先の本能寺を訪問することにする。3番系列の市バスに乗って20分ほどして「市役所前」で降りる。本能寺ホテルがあり、本能寺御池門と書いてある標識の横を抜けていくと、本堂が見えてきた。信長公の御廟所と矢印が示されているのでそこに行く。御廟所とあるが、歴史書によれば信長の遺体は発見されていないので、墓所ではないのだと思う。その近くに浦上玉堂の廟所があったので、これも写真を撮っておく。だいたい30分ほどで見終わる。さほど大きなお寺ではない。このお寺は廻りを高いビルディングに囲まれていて、いかにも窮屈そうなたたずまいであった。河原町通りへと通り抜ける。振り返ると「贈正一位織田信長公御廟」と表示があった。本能寺には、河原町通りと御池通りの二か所から出入りができるようである。