お初天神と適塾

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2015-03-26

次男がこんど大阪大学に入学することになり、たくさんの書類が大学から送られてきた。その中の大学案内を見ていると、大阪大学のルーツは緒方洪庵の適塾であると述べてあり、淀屋橋駅の近くに適塾が残っていると記されてあった。それではと、さっそく野次馬気分で訪問することにした。しかし、一か所だけでは物足りないので、お初天神(露天神社・つゆのてんじんじゃ)をも訪問する。また、来月から電車通勤で非常勤講師として働くことになるのでPiTaPaの申込書をも駅で入手することにする。

(1)梅田駅に行く。梅田駅のインフォメーションにて、PiTaPaの申込書をもらう。京都市バス、阪急電車、地下鉄御堂筋線、南海電鉄で共通で使えるので、非常勤の勤務先への乗り換えには切符をその都度買わなくてもいい。今日にでも郵送で申し込みをする予定である。

(2)梅田駅から降りて、阪急デパートの横を通ると、曾根崎お初天神通りの入り口を見つける。そこに入る。このあたりは近代的なビルが建ち並ぶが、この通りだけは、庶民的な香りのする飲食店の建ち並ぶ通りであった。何か猥雑な感じがするが、同時に昭和の頃の雰囲気が残っている通りでもある。ここで、立ち食いそばを食べる。きつねそばで300円を支払う。さて、お初天神ビルを通り抜けて露天神社へ入る。ここは、高いビルディングに囲まれていて、今ひとつ雰囲気がでない。

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お初と徳兵衛の銅像を見つける。さっそく写真に撮る。曾根崎心中はWikipediaでは、次のように記してある。「『曽根崎心中』は、元禄16年4月7日(1703年5月22日)早朝に大坂堂島新地天満屋の女郎「はつ(本名妙、21歳)」と内本町醤油商平野屋の手代である「徳兵衛(25歳)」が西成郡曾根崎村の露天神の森で情死した事件を題材にしている。」二人が森の中で心中をしたのであるが、このあたりはすでに森はない。ここがむかし森であったと想像するのはかなり難しい。二人の心中は当時大きな評判となり、近松門左衛門の浄瑠璃の題材になったのである。近松の文章はとても美しい。
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この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば、
あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ
あれ数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 残る一つが今生(こんじょう)の
鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽(じゃくめつ いらく)と響くなり

鐘ばかりかは 草も木も 空もなごりと見上ぐれば 雲心なき水の音
北斗は冴えて影映る 星の妹背(いもせ)の天の川
梅田の橋を鵲(かささぎ)の橋と契りて いつまでも 我とそなたは婦夫星(めおとぼし)
かならず添うと縋(すが)り寄り 二人がなかに降る涙 川の水嵩(みかさ)も増(まさ)るべし
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荻生徂徠がこれらの文章を読んで感動のあまり机を叩いたそうだ。さて、この神社は現代では縁結びの神社として有名なようである。並んである絵馬をちょっと見てみると、恋愛の成就を願う文章が多く書かれてある。その中には、中国語、タイ語、英語の文もある。外国人にも有名になりつつあるようだが、この周辺をもう少し空間を広げ圧迫感を取り除いていかないと、閉所恐怖症の人は困るのではないか。

さて、次は緒方洪庵の適塾に向かう。御堂筋線の淀屋橋駅で降りる。途中で「懐徳堂旧阯碑」(かいとくどうきゅうしひ)という石碑が埋め込まれてある壁に見る。ここに、むかし商人の学校があり、これが大阪大学の文系の学科のルーツになっている。さて、適塾を見つける。開館は10時からであり、しばし休んで開館を待つ。入場料は240円である。入り口には、「3位じゃダメなんです」というポスターがある。日本で第3位の大学という地位に安住していないで世界のトップクラスの大学を目指すという意気込みのようだ。さて、中に入って写真を撮っていたら、係の人から写真禁止と注意された。それで、主にノートを取りながら館内を見学する。庭も入れて百坪ほどの敷地か、2階建ての建物である。

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この塾は阪大の医学部と理学部のルーツである。緒方洪庵の医者としての業績が紹介してあった。また種痘をここで始めたようだ。急な階段を2階に上るとヅーフ部屋があった。これは6畳ほどの天井の低い部屋で中央に蘭和辞典(ヅーフ・ハルマ写本)が置いてある。福沢諭吉の自伝によれば、蘭和辞典は一冊しかないので、塾生たちは争ってこの辞典を利用して、蘭学の勉強をしたという。その横は、塾生大部屋である。数えたら28畳の部屋である。塾生は一人が一畳を占めて、成績で上記の者から好きな場所を選んで寝泊まりをしたという。西洋の学問を伝えるオランダ語の学習に当時の若い人々が夢中になったことが分かる。そして、医学書の翻訳書がいくつか並んでいる。必死の思いで訳していった当時の若者達の情熱が今でも伝わってくるようだ。写真を禁止されているので、画像をお見せできないことが残念だ。

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次男がこれからお世話になる大阪大学はこのように由緒ある適塾がルーツであることが分かった。なお、次男からは本人に関するプライベートなことはブログに書くな、と禁じられているが、これくらいは許してもらいたい。

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