長泉寺を訪問する

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2015-04-12

私は酒を飲んだ時、『徒然草』を読むというか、眺めるのが好きである。兼好法師は今で言えばブログに投稿するように、自分の聞いたこと、見たこと、感じたことを書き留めた。現代人がパソコンに向かって気楽に文章を書くことと比べると、兼好法師は墨をすって筆で書き留めたので、かなり手間暇がかかったと思われる。しかし、現代人と比べるとずっと時間はあったので、さほど苦にせず「硯に向かいて」墨をすったことと思われる。

今日は午後から長泉寺を訪問することにした。長泉寺には吉田兼好の墓がある。長泉寺の中には入れないらしいが寺の外側からでも見てみたいと考えたのである。さて、桂の方から仁和寺の方へ向かうとたくさんの車があって渋滞している。日曜日で比較的穏やかな天候であるので、人々は仁和寺か金閣寺に向かうのであろう。ほとんで動かないので、ナビを頼りに近道を通って長泉寺に行くことにした。このあたり大きな立派な家が多い。

長泉寺にようやく到着する。しかし、中には入れない。お寺の外にある「兼好法師舊跡」と記された石碑を写真に撮る。比較的小さなお寺である。さて、兼好法師の住居はこのあたり、双ヶ丘(ならびがおか)の西麓にあったそうだが、1704年ころに長泉寺に移されたそうである。

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車で周辺をドライブしながら、このあたりは昔は鬱蒼とした森であり、兼好法師の隠居地がどこかにあったのだと想像していた。このあたりは、今は、まったく緑はなくて、とうてい昔の面影はないが、とにかく兼好法師のゆかりの地をドライブしたり散策できたことはよかった。

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長泉寺は仁和寺に近い。昔は仁和寺には広い境内があり、このあたりもその一部だったようだ。兼好法師は仁和寺の法師に関する段が少なくとも3つある。法師は仁和寺に関する情報通、噂をいろいろ知っていた。

ネットで調べると兼好法師は鎌倉や比叡山横川、修学院、大阪の阿倍野などいろいろなところに住んだようだ。一箇所に落ち着くのではなくて、様々なところに行き、様々なことを知りたいと考えたようだ。このあたりの人生態度は現代の人は共鳴するだろうと思う。

なお、長泉寺の向かい側にオムロン発祥の地との石碑があった。仁和寺は別名が御室(おむろ)であり、この一帯の地名が御室となっている。そこから発祥したので、オムロンという名前をつけたそうだ。なるほど。京都には京都発祥の企業がいくつかある。オムロン、任天堂、京セラ、日本電産、堀場製作所、村田製作所、ワコール、島津製作所、ロームなどである。これらの企業は京都の企業文化を背景に健闘している会社であり、京都人の誇りであろう。

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さて、この日は下鴨神社内に『方丈記』の鴨長明の庵が保存されているので、そこも見物する予定であった。たぶん下鴨神社の周辺は多くの観光客の車で身動きが取れないだろうと考えて、後日訪問することにする。

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