2015-04-19
今日は家内の買い物に付きあって、洛南のイオンに行った。家内がお気に入りのお店を見ている間、私は例によってソファで休んでいると、携帯の留守番電話に旧友のY先生からのメッセージが残っているのに気付いた。最後に会ったのは何年前か、早速自宅に電話を入れると無事につながった。
Y先生の懐かしい声がした。いろいろなお話をしたが、Y先生は今耳鳴りで苦しんでいるとのこと、先日も医者に行ったばかりだという。Y先生は私よりも数歳若い、つまり、60代の前半になる。この歳になると人間はいろいろな病気が出てくる。医者からは、耳鳴りの原因は分からないとの診断であるそうだ。Y先生は毎晩、布団に入っても耳鳴りで寝れないとの話である。病気の原因がわかれば、対策も取りやすいが、原因不明だとなかなか難しいものと推察する。ネットで調べると、ストレスやメニエール病などで誘発されるそうだが、Y先生の一刻も早い回復を祈る次第である。
実は、私の父も耳鳴りで苦しんだのである。昔、父は軍隊で訓練を受けた時に、長時間潜水してから、浮上した時に、耳の中でガーガーという大きな音がして、しばらく眩暈がしたという。それから、慢性の耳鳴りに苦しめられ、年を経るにつれて悪化していった。医者に相談したが治らないとのこと、父は耳の周りの聴覚神経を切断してほしいとさえ医者に訴えたが、医者からは危険な手術である、と断られた。医者からは、夜眠れないときは睡眠薬を着服するように、そして耳鳴りに慣れるようにとのアドバイスであった。
Y先生は加須市に住んでいて、早期退職して年金生活に入られた。その後、外国人に日本語を教えるボランティア活動をされていた。私はそのボランティア団体の日本語を教える活動を見せてもらい、また日本語教師の方にインタビューをする機会を与えてもらった。また、群馬県の大泉町(日系ブラジル人が多い町)を訪問する時は、道案内をしてもらい、研究仲間たちを含めて合計4名で実り多い調査ができた。その成果をくろしお出版から新時代教育のツボ選書の第2弾として、『日本語が話せないお友達を迎えて』というタイトルで2010年に刊行することができた。
Y先生とお話をした後、今まで述べたようなことを思い出した。今年の終わり頃でも東京で会って一緒に酒を飲もうと約束したが、それまでにY先生の耳鳴りが治っていることを切に願う。