『若い二人の心斎橋』の歌詞

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2015-04-28

急に暑くなってきたようだ。先週までは寒い日もあって、なかなか春にならない、と思っていたら、突然、初夏になったようだ。ところで、心斎橋の話だが、さらにいろいろと調べてみた。Wikipediaを見ると、次のように記してある。

(1)1962年(昭和37年)に長堀川が埋め立てられて、心斎橋は撤去された後、1964年(昭和39年)に長堀通を横断する歩道橋として移築された。

(2)長堀川と西横堀川と出会うところは四つの橋が架けられてあり、四つ橋という地名だったそうだ。その東側が東長堀川といって、心斎橋はその上に架かっている橋であった。1960年(昭和35年)から東長堀川の埋め立てがはじまった。そして1964年(昭和39年)に埋め立てが完成したとある。つまり、4年ほどかけての大工事であった。

(3)この曲は作詞が佐伯孝夫、作曲編曲が吉田正である。また、『若い二人の心斎橋』が発売されたのは、1964年10月である。

つまり、何が言いたいのかというと、佐伯孝夫が歌詞を構想していた時は、すでに心斎橋は撤去されたあとのようだ。歌謡曲の歌詞が完成するのが1年ほど前と仮定して、1963年に作詞をしたとする。すると、撤去されていたか、あるいは大工事中であって、とうてい、若い二人がロマンティックな気持ちで会えるような場所ではないと思う。佐伯孝夫は現実の心斎橋ではなくて、昔のガス灯がともる心斎橋を想像しながら、この歌詞をつけたのではないか。

「浪速の夜霧にガス灯が青く潤んで君は来る」という歌詞は、佐伯孝夫は関西に住んでいる人からヒントを得て、自分の想像を膨らませて、この歌詞を書いたものであると思う。多忙な彼のもとにいろいろな人が作詞の依頼にきたことと思う。そして、依頼者の話を聞きながら、依頼者と作詞者のコラボレーションでこのような美しい歌詞ができあがったのではないか。つまり、言語は美しい対象物を忠実に描写したから美しいのではなくて、言語それ自体が美しくなりえるのだ。

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