90分のスピーチ

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2015-05-19

大学での授業は90分である。この90分は結構長いように感じる。高校での授業は50分ほどである。大学では高校の時のだいたい2倍の長さである。聴いている学生も大変だが、話をする教員側も大変である。

どのようにしたら、90分の間、緊張を持続させるか、聴き手の関心を持たせるか、いろいろと工夫をしてみる。 30分ぐらいずつ3つほどに分けて別々のことをする。最初は聞くだけ、次はグループディスカッション、最後はビデオを見たり、と活動を分けることで学生に飽きさせないような授業も考えられる。

あるいは、PowerPointを使って、画像を提示することで関心を持たせることもできよう。今の自分にはPowerPointがかなり重要な道具となっている。これを使いながら学生に説明をしている。しかし、学生は寝たり、あくびをしたりと、上手くいかない時もある。とくに60人ぐらいの大人数クラスだと私語も増え、授業がだんだんと難しくなってくる。90分の間、学生の関心をそらさない完璧な授業をすることは多くの教員の夢ではあるが、はたして何人の教員がそんな授業をしているか。

私が石川県にある学校で教員をしていた頃の話をする。毎年、秋になると外部から講演者を呼んで90分ほどスピーチをしてもらう。だいたい、大学の教員が呼ばれることが多かった。大学の教員は講演はあんまり上手ではない。1000人以上の聴衆がいる大ホールで、講演者は学問的な話をするのであり、やんちゃな学生の多いホールは、たちまち私語で雑然として収拾がつかなくなる。

学校側はそんなことで、外部講演者の人に対して、いつも申し訳なく感じることが多かった。ところで、ある年、一風変わった外部講演者を呼んでみようということになり、小説家、安部譲二を呼ぶことになった。安部譲二は立派な体格で目がぎょろりとして、かなり威圧感がある人物だった。

講演の場では、よく通る声で、自分を「博打打ち」と紹介して、刑務所での体験や政界の実情などを語り始めた。1000名ほどの聴衆がシーンとなって聴いている。いつもは大騒ぎする悪童どもが真剣な顔で安部譲二の話を聞いている。それくらい話は上手で、気合が入っていた。 「プロの講演者はすごい」というのが自分の印象だった。

もちろん、学校側はかなりの講演料を支払ったのだが、それに見合う内容であった。「完璧なスピーチとは何か」と考えると、いつもあの時のスピーチを思い出す。

次の年は、広島の衣笠祥雄選手が講演をした。衣笠選手も話が上手だった。この人も話のプロだった。いろいろなエピソードを交えながら、学生たちにいい話をしてくれた。もちろん、講演料も高かったのだが。

プロの話し手、それで生計を立てようとする人は、気合いの入れ方が違うようだ。安部譲二と衣笠祥雄は、何回も講演を重ねてきて、どの部分が聴衆に受けるかすでに分かっている面もある。

しかし、やはり90分を無駄なく活用して、何かを伝えようという意気込みはすごいと思った。さて、自分がそんな気持ちで、毎回の授業に臨めるのか。「これで給料をもらっているのだろう、しっかりしろよ」と自分に言いたい。  

(追記 2019-09-08 ) 安部譲二が亡くなったというニュースを聞いた。この記事で述べた衣笠祥雄もすでに物故している。それぞれの冥福を祈りたい。

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