2015-05-28
このブログは、1年前の6月26日に始めている。だいたい1年近く経ったのだが、かなりブログの作り方の技術が向上したと思う。他人のブログをも読むようになり、その人の文体とか、画像の掲載の仕方とか、全体の構成などにも注意を払うようになった。特に他人の文体は自分が大いに関心を示すところである。
多くのブロガーは一文を書いたら、すぐに一行あけて改行する。それはアフリエイトをしている人に多い特徴のようだ。ある商品の宣伝をするのだが、感想を一文で示す。さらに補強する一文を付け加える。ときには、フォントを大きくしたり、太文字にしたり、文字の色を変えてみたり、と色々な工夫をしている。顔文字 🙂 を入れる人もいる。たしかに印象は強くなる。
自分はやはり現在の文体、つまり、4行ほど書いたら一段落として改行していく方法で行きたい。ひとつの思想がひとつの段落に該当するとして、自分が考えることは4行ぐらいで一区切りとなるように思える。細かく深く考える人は10行ぐらいを一段落としてもいいのではないかと思う。ドイツの哲学者カントは一段落が数ページにわたる文を書いたそうだが、それは読者にとってはかなりつらいことではなかったか。
当初はブログのネタはあるのかと心配したが、自分のような平凡な生活をしている人間でも、結構いろいろなことが起こる。職を持っているからであろう。仕事の関係でそれなりに何人かの人と出会い、エピソードが発生する。これが自分が完全引退して、田舎に引きこもったらどうなるのか。家庭菜園の様子とか、散歩道で見つけた植物の話などをブログに載せることになると思う。それはそれなりに楽しそうだが、他人にとっては、退屈なブログになるかもしれない。
週末は郷里に戻り母の納骨をする予定である。母の遺灰は実家の仏壇に置いたままであるが、それを先祖伝来の墓に納めるのである。墓石を少しずらすと大きな穴が見えてくる。その中に遺灰を入れていくのである。10年ほど前、父の遺灰をおさめた時のことを思い出す。その時は、祖母や祖父の遺灰の上にかぶせるように父の遺灰を撒いた。先祖たちの遺灰は古くなり変色していたが、亡くなったばかりの父の遺灰は真っ白で、色が鮮やかな対比を示していたことを思い出す。
こんどは、母の遺灰を父の遺灰の上にかぶせることになるが、これで母と父が一緒になれるので、子供としての義務を果たすことができそうである。当日は、御坊さんにも来てもらい、簡単にお経を読んでもらう予定である。家族4名と妹が参加する。叔父も参加すると思う。少人数だが、納骨の儀式を行う。さて、あと、10年ほどしたら、今度は自分の番かな。