母の骨をおさめる

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2015-05-31

昨日は石川県へ車で帰る。高速道路だが、米原を過ぎて名神道から北陸道に入ると、車の数がかなり減って、運転が楽になる。北陸道からは周りの景色を見たりする余裕が生まれる。初夏で山々の緑が徐々に濃くなっていくのが分かる。3月に母の遺骨を運ぶために車で往復した時は、山々はまだ茶色ばんでいたのだが、5月末だと森林の若葉が目立つ。

安宅のインターで降りる。安宅の関の近くを通る。橋の両側に二つの像がある。一瞬のことなので、これらの像は関守の冨樫の像、弁慶、義経の誰を示しているかは分からない。 写真でも撮ればよかったのだが、そんな余裕はなかった。次回は、ここも含めて安宅の関趾と安宅住吉神社を、ゆっくりと訪れて写真をたくさん撮ってみたい。

夕方前に自宅に到着する。夕食は宇ノ気町にある「イオンモールかほく」に行って、その中のレストランで食事をすることにした。石川県でもイオンが至る所にある。親戚の人と一緒に食事をした。さて、明日は実家で納骨の儀式である。早めに床につく。

朝早く目覚める。自分は早めに実家に行くことにした。家族は親戚の人の車で後から来ることになった。自分は10時頃に実家に到着する。妹がすでに到着して家の前で待っていてくれていた。実家の中に入る。家の中は荒れ果てている。少しでも風通りを良くしようと二カ所ほど畳を取り去り、下の板もはずしているが、どれくらい効果があるのか。荒れた実家は頭痛のタネである。どうやって今後修理をするかという点である。

水回りをなんとかしたい。トイレと台所をなんとかしたいのだが、どうしたらいいのか。まず修理しても自分たちが本当に住むのかどうかという問題がある。先祖代々の家であるから、愛着はある。しかし、人口が急速に減りつつあるこの町での生活は難しくなるだろう。もう少し便利ならが、老後はここを本拠地にしてもいいのだが、子供達は実家までは訪れてくれないだろうな、と考えたりする。山を含めて毎年固定資産税をかなり払っている点も自分には頭痛である。

仏壇の奥から母の遺骨を取り出す。3月に遺骨を運んだ時は、叔父から仏壇の奥にしまっておくようにと注意を受けた。家の外からタヌキやハクビシンが侵入して、ツボをひっくり返して遺骨を食べる恐れがあるとの理由であった。遺骨は無事であった。動物に荒らされた気配はない。母と父の写真に話しかける。家の中を整理整頓して、母と父の御霊がもう少しゆったりとできるようにすると誓う。

かれこれするうちに、叔父も到着する。叔父からはこの地域の生活事情や経済事情を聞く。経済状況は芳しくなくて叔父もできたらお店を畳みたいそうだ。叔父は今では趣味で商売をやっているようなものである。さて、遅れていた家族たちもようやく到着する。墓に添える花は菊を飾ることにする。この時期でも菊があることに驚く。温室栽培か輸入した菊か、世の中、便利になったものだ。

11時前に近くの墓所に向かう。御坊さんはすでに到着していて挨拶をする。父の葬式の時以来で、自分はしばらく義理を欠いていたので申し訳ない。墓石が昨日の雨のせいでくっついて、なかなか動かない。ようやく前の石を動かして中を見る。父の骨はまだ白い。母の遺灰を中に入れた。母も父や祖父や祖母と一緒になれたのである。

御坊さんがお経を読む。10分ほどか、そのあと、私から始まって順番に墓の前でお参りをする。儀式が終了した後、お坊さんから母の一周忌はきちんと行うようにと念をおされた。母の一周忌をするには、家の中を整理整頓して人を呼べるように状態にしなければならない。そして、お坊さんに対して、ある程度のお金も準備しなければならない。息子としてのいろいろな責任があるが、これは大変だ。

儀式の後で、近くの蕎麦屋で食事をする。この蕎麦屋は手作りで美味しいとの評判があり、はるばる遠くから人が食べにくる。量もやや少なめで、これは私のような年齢の人間にはありがたいが、若い人は不満に思うのかもしれない。何枚か写真を撮る。

さて、そのあと、妹を七尾駅まで送る。妹はこれから金沢まで列車で行き、金沢から新幹線で東京に帰るそうだ。新幹線ができて便利になったようだ。今度妹たちと会えるのは、母の三回忌ぐらいになるか。それまでに、実家の修理と畳の入れ替えをしたいが、時間はかかりそうだ。お坊さんからは先祖の供養を怠っていると叱られそうだが、少々待って欲しいと弁解をしておく。

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