カエルの生涯

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2015-06-13

今日は土曜日だが、勤務校に行っていろいろな仕事をする。途中で田んぼがいくつかあるので、ときどき立ち止まっては、オタマジャクシを探す。まだオタマジャクシはとても小さい。収穫が8月ごろか、それまでにオタマジャクシはカエルへと成長して、土が乾燥する時期には地面の中に潜らなければならない。それに失敗すると体が乾燥してしまい、次の年まで生き残ることはできない。

カエルの生涯を考えると、時間との戦いだと思う。池に住んでいるカエルならば、時間的な余裕はある。ゆっくりと成長しても水は常にある。もっとも、水が常にあるということは、天敵もたくさん住んでいて、その意味では危険だと思う。田んぼならば、せいぜいアメンボウが住んでいるくらいか。こんな住宅街の中の田んぼではヘビなどの天敵はいない。もっとも、カモなどが時々来ては、田んぼの中を漁るのだが、それでも池の中よりははるかに安全であろう。

冬に冬眠するカエルたちのことを考える。このあたりは、田んぼが埋め立てられて住宅地へと転換されている。そのときは、冬眠していたカエルたちは、永眠することになる。このあたりは、昔はほとんどが田んぼであったことを考えると、一体全体、何匹のカエルが、埋まっているのかと思う。

むかし、母親が一時期だが田んぼの仕事をしていた時があった。春になると鍬を持って田んぼを耕すのだが、一番嫌なことは、耕しているときに、冬眠しているカエルを切ってしまうことだと言っていた。冬眠していたカエルも鍬で体を真っ二つに割られるときは、瞬間、ぎゃーと小さな声をあげると言っていた。

このあたりでは、春になると耕運機で田んぼの土を耕す。機械だからかなり深くまで耕すことができる。たいてい、サギが飛んできて、耕運機の後を追いかける。つまり冬眠していたカエルが掘り出されて、あるものはそのまま、あるものは切られた姿で、土から現れる。サギにとっては、ご馳走を味わうチャンスなのである。

カエルの生涯、そして、その子孫たちの将来を考える。かなり悲観的になる。京都のカエルたちよ、短い生涯だろうが、生きているときは、瞬間瞬間を貴重なものとして味わってほしい。

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