2015-06-18
木曜日は非常勤講師として大阪のある大学で教えている。いつも早めに家を出発して途中一時間ほどどこかに立ち寄っている。さて、実は、今日は朝の出発前に、学生の英作文の添削をした。学生はメールで英作文を提出することになっているが、いつも授業の当日、直前に送られてくる。それで、今日は早めに起きて学生の英文のチェックをする。2名ほどの学生の課題は私が電車の中にいるときに届く。その作文に関しては添削する時間がないので、来週に返却することにする。
さて、電車の中は、正岡子規の『仰臥漫録』(ぎょうがまんろく)を例によって読んでいる。いつも、「便通及び繃帯取換」という文章を見ると、心が痛む。寝たきりの病人の便通となると、布のオムツの取換になる。現代の老人用オムツのように便利なものがない時代であり、取り換える方も大変だったろうし、される子規も嫌だったことと思う。悪臭が大変だったろうと思う。
明治34年9月14日には次のような文章がある。
「午前二時頃目さめ腹痛し 家人を呼び起こして便通あり 腹痛いよいよ烈しく苦痛堪えがたし この間下痢水射三度ばかりあり 絶叫号泣」
この箇所だが、読んでいて苦しくなり、本を閉じて窓の外を眺める。明治の時代に肺病のために多くの有為な人材が夭折したことを思い出す。樋口一葉とか石川啄木である。現代はペニシリンの発見で肺病は死病ではなくなった。医学の進歩のおかげである。ふと、『雪国』の冒頭で葉子が病人の看病をしていた場面を思い出す。時計職人としての修行をしていた青年が肺病のために故郷の越後湯沢に戻り、そこで死んでいく。戦前に肺病がいかに猛威をふるったかしばし思いにふける。
今日の大阪探検は天下茶屋の駅を降りて、周辺を1時間ほど散策する。難波駅の周辺のように派手な感じではない。昭和の雰囲気が残っているような地域がいくつかある。小さな駅があり、そこに『コーヒールンバ』という名前のカフェがある。なにか懐かしい気がして、写真を撮ってみる。
そして、しばらくすると大本教の建物が見えてきた。さほど大きい建物ではない。大本教はエスペラントと関係が深い。大本教から出版されているエスペラント関係の本を何冊か読んだことがある。また、金沢でエスペラントの集まりがあったときは、確か大本教の教会の中での集まりだったように思うが、私も参加したことがあった。私は何年か前までエスペラントの学会に入っていた。高い理念の人々の集まりで、英語という大洪水の中で、ノアの箱舟に乗っている人々のようである。この洪水が治ったときに、再び普及への道が開かれるかもしれない。
天下茶屋駅は大阪の西成区にある。周辺は時代に取り残されたような地域があったり、現代風に模様替えをしている地域もある。ふと、来週は新今宮駅の周辺を訪ねてみたい、と考える。ホームレスの人々が多い地域であり、日雇い労働者向けの安宿が多い地域である。実は、この安宿を目指して、世界中からバックパッカーが押し寄せているそうだ。できたら、安宿の英語表記の看板を見て、何枚か写真を撮ってみたい。そして、西成の国際化というタイトルで論文を書いてみたい。そんな風に考える。
非常勤先ではO先生とお話しする機会があった。来週は学食を体験しようということになる。そのときに、私は自分が分担執筆して出版された本を1冊ほど持参して、O先生に贈呈しようと考えている。