墨汁一滴を読む

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2015-07-23

今日も大阪に非常勤の仕事で行く。朝は大雨でバス停でバスを待っているがなかなか来なかった。20分ほど待っても来ないので、諦めて歩き始める。するとバスが来た。慌てて引き返すも間に合わず、残念だった。

仕事先に向かう電車の中で、正岡子規の『墨汁一滴』を読む。読めば読むほど味わいがあり、心に訴えるものがある。自分の病気、俳句界に対する苦言、社会に対する観察など、子規の思いが随筆の随所に散りばめられている。

子規がしばしば褒め称える人に平賀元義という俳人がいる。この人は無名の人であったが、子規が『日本』の中で絶賛したことにより、世の中に知られるようになった。橘曙覧も子規が発見した人である。今まで世に知られなかった才能ある人を子規はよく発見する。病床にあった30代の青年の眼力には驚くものがある。病床にあったゆえに、精神力が高まったのか。いずれにせよ、才能ある人力を発掘する子規の眼の確かさに敬服をする。

平賀元義の歌は、橘曙覧と比べると、やや難しいように思える。万葉調であるが、ややクセがあり、平賀の元義は現代の人にはあまりアピールしないかもしれない。なお、平賀は65歳ぐらいで路上の溝に落ちて死んだそうだが、「路傍に倒死せり」と子規は述べている。彼の歌は次のようなものがある。

  天保八年三月十八日自彦崎至長尾村途中
うしかひの子らにくはせと天地あめつちの神の盛りおける麦飯むぎいいの山
五月三日望逢崎
柞葉ははそばの母を念おもへば児島こじまの海逢崎おうさきの磯浪なみ立ちさわぐ
五月九日過藤戸浦
あらたへの藤戸の浦に若和布わかめ売るおとひをとめは見れど飽かぬかも
逢崎賞月
まそかゞみ清き月夜つくよに児島の海逢崎山に梅の散る見ゆ (2月16日の頁より)

子規の随筆には当時の風習が語られている。その当時は提灯を借りると、ロウソクを新しくて返却する風習があったようだ。このあたり面白い。下に記す。

病床に寐て一人聞いて居ると、垣の外でよその細君の立話がおもしろい。

あなたネ提灯ちょうちんを借りたら新しい蝋燭ろうそくをつけて返すのがあたりまへですネそれをあなた前の蝋燭も取つてしまふ人がありますヨ同じ事ですけれどもネさういつたやうな事がネ……

などとどつかの悪口をいつて居る。今の政治家実業家などは皆提灯を借りて蝋燭を分捕ぶんどりする方の側だ。尤もっともづうづうしいやつは提灯ぐるみに取つてしまつて平気で居るやつもある。(5月24日)

子規の随筆は面白い。適当なページを開けて、数ページ読むことが意味の私の楽しみの一つになっている。子規にはまだまだ随筆があるようだが、それらも見つけていきたい。彼の随筆の全集を読んでみたいが、アマゾンを今眺めたところでは、随筆だけの全集はなさそうだ。次はかれもう一つの随筆『松蘿玉液』(しょうらぎょくえき)を読んでみたい。

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