西田幾多郎記念哲学館を訪れる

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2015-08-14

数日前から石川県の自宅に戻っていた。そして昨日は、近くの西田幾多郎記念哲学館(かほく市)を訪れた。この記念館は数年ほど前に新しく高台へと移転して建物もガラスとコンクリートのモダーンな姿に衣替えをした。西田幾多郎は旧宇ノ気町(現かほく市)で生まれ、また1896年から1907年まで四高(現金沢大学)に奉職されて、石川県とは縁の深い哲学者である。鈴木大拙記念館が金沢にできたそうで、西田幾多郎記念哲学館の入場券を持っていくと半額か何か優遇してくれると受付の女性が説明してくれた。

この日は、午後の4時頃訪問したのだが、訪問客は自分だけ。どの展示室も自分しかいないので、ちょっと寂しい気がした。建物はコンクリートの打ち抜きの作りで、確かに雰囲気は哲学的(?)である。館内は写真撮影は禁止なので、下に幾つかの写真を示す。廊下や外壁だけの写真である。

入り口に向かう
入り口に向かう
復元された書斎、中に大きな木の机があった
b 復元された書斎、中に大きな木の机があった
無機的な回廊
無機的な回廊
5階の展望台
5階の展望台、ここから、かほく市が一望できる。

展示物は撮影禁止だったのでお見せできないのが残念である。展示物が語っているのは、西田哲学における禅と哲学の強い結びつきを示している。また、漢詩や書画にも造詣が深く、日本の伝統的な文化、中国の漢文学、西洋の近代哲学などに興味を示して、まさに知の巨人と言えるだろう。

西田幾多郎の本だが、自分は一冊だけ読んだことがある。学生の頃『善の研究』を読んだ。難しい本かと思って構えていたら、論理は簡単な構造だったので意外だったことを覚えている。論理構造は弁証法を用いて単純である。

その論理的な構造は、すべては、正と反の弁証法的な統一であると主張する。たとえば、「人間は理性的だという説がある。また非理性的だという説がある。本当のところは、人間存在は理性的な部分と非理性的な部分の弁証法的な統一である。」万事そんな調子である。

三木清の哲学書を数冊読んだことがあるが、弁証法を用いて同じような説明をしていた。この当時は弁証法が流行していたのであり、哲学者たちは大なり小なりこの影響下にあったようだ。

弁証法は現代では流行らない。若い人で興味を示す人は寡聞にして知らない。とうてい結合しそうにないものが、絶対矛盾の自己同一という説明で、結合してしまうなんて!?自分はどうも首を傾げてしまう。弁証法とは一時期哲学界を風靡したものだが、今はどうなっているのか。現代の哲学研究者で弁証法を中心に研究する人はどれくらいいるのか。

西田幾多郎は郷里の偉人として石川県でよく知られている。京都にもゆかりの深い人で京都大学に奉職中にいろいろな哲学的な著作を発表された。そう、西田幾多郎は石川と京都の両方に関係が深いのだ。有名な哲学の道は、この時期は観光客でいっぱいであろうが、早朝の人のいない時間帯に歩いてみたい気もする。

 

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