夢を語る言葉

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2015-08-22

夢を見たらそれを記録しておかないとすぐさま忘れてしまう。現実にあったことならば、現実そのものの印象が強いので、言葉にしなくてもある程度は印象が残る。夢はどのような意味を持つのか。それはどのように解釈されるべきなのか。

フロイトの『夢判断』はそのような夢の解釈としてとても有名である。この本自体は読んだことはないが、解説書によると夢の解釈についてユニークの学説をとなえて心理学の研究に大きなインパクトを与えたのは周知のことである。

『夢判断』を購入したことはある。新潮文庫で高橋義孝の訳本である。字が細かくて2,3ページで投げだしてしまった。大学時代、倫理学の授業を受けていたが佐藤俊夫という先生が授業中に、「フロイトのドイツ語は難しい。わたしは読むことができない」と言っていたことを思い出した。高橋義孝は文学者であり、心理学は専門ではない。しかし、そんな専門外のドイツ語でも訳してしまうなんてドイツ語の大家はすごいなと感心してしまう。

佐藤俊夫先生が授業中に自分の著作『習俗』(塙新書)を勧めてくれた。この本はとても面白くて刺激に満ちた本であった。特にミルチア・エリアーデ(Mircea Eliade)について紹介している部分は面白かった。それをきっかけに、聖と俗という二分法に馴染むようになった。「ものすごく聖なるもの」は実は「ものすごく穢れたものである」という指摘は面白かった。

フロイトの全集や選集はよく本屋で見かけた。こんな小難しい本を読む人もいるのだなと思いながら本を眺めていた。ところで、近年 kindle という電子書籍が登場した。古典的な著作は無料でダウンロードできる。フロイトの著作もとりあえず、ダウンロードした。『夢判断』Die Traumdeutung も無料で手に入る。彼の本当の著作が無料で入手できる。大変な世の中になったものだ。

ちょっと読んでみた。佐藤先生がお手上げといった彼のドイツ語であるが、学術的なドイツ語の文章なので用語に慣れれば読んでいけるのではないか。文学作品のように、作家が新しい言語表現を試みることはないので慣れの問題ではないか、と部外者が勝手なことを言っておく。

夢はたいてい断片的であり、それを記録しようとして何とか辻褄を合わせようとすると苦労する。そして、言葉にしないとすぐに記憶から失せてしまう。そして、言葉にするということは実は記憶の節約でもあると思う。

我々は毎日膨大な事象と出会う。それらを言語化して頭の中に入れているのだと思う。富士山に登り、御来光を見たときには、「東の空が次第に明るくなり、だいだい色の光が輝きを増してきた」というような言葉で翻訳してそれを自分の頭の中に入れてしまう。細かい情景は忘れる(それでいいのだと思う)。人に思い出を語るときはその言葉を取り出してきて、それにプラスアルファで語るのだと思う。

photo credit: Inspiration via photopin (license)
photo credit: Inspiration via photopin (license)

自閉症の人はよく見た光景を細部まで覚えていてそれを後日再現できるそうだ。画家の山下清も自宅に戻ってから、その記憶に頼って、情景を描いたそうだ。一般の人は、光景を言葉に翻訳して記憶に入れる。細かい情景は忘れてしまう。そうでないと頭がパンクしてしまう。自閉症の人は細部を忘れることができなという意味でハンディを背負っていると考えられる。

例えて言えば、ファイルをパソコンの中に取り込もうとすると容量を取る。それで、zip形式で圧縮して保存する。必要なときは、解凍して使うようなものであろう。これが一般人であろう。自閉症の人は記憶を圧縮しないのではないか。

自閉症の人が夢を見るとなると、どうなるのか。時々は細部まで覚えていて、絵画にするように促すと細かく再現できるのか。膨大な夢日記がネット上にあふれているが、夢を絵画化したものはあまりない。夢を絵画化したもののデータバンクを作れば、それはそれで役にたつと思う。夢に適切なtagをつければ検索にも役にたつであろう。

今日は何か、とりとめもない話をしてしまった。もう少し、脈絡のある話にしたかったが、断片的に思いつきを書くだけになった。この文章も夢の中のように書いてしまった。

 

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