Y君の思い出

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2015-08-22

むかし夢の中でY君が出てきたことがあった。Y君は私の仲の良い良い友人であった。大学時代はよく麻雀をして、卒業後も同じ会社に就職したのであった。就職してからも二人でよくお酒を飲んだものだった。

しかし、彼は会社員となって3年目に自殺をした。左胸の心臓のある部分、表と裏に電気が通じるように装置を貼り付けてタイマーをセットしてから、本人は睡眠薬を飲んで眠った。設定された時間になると通電して心臓が麻痺を起こして息絶えたのである。

Y君は体が大きい人で、火葬してからも骨壷に骨が入りきらなかったことを覚えている。それから、何回か共通の友人であったN君と一緒に彼の御墓参りをした。

Y君はまったく普通の人であった。少なくともそのように見えた。ただ、会社に入ってから数年してインフルエンザか何かで2週間ほど休んでいた。かなりひどい病気だったようだ。それ以来、仕事への熱心さが消えて、何か生気がなくなったと感じられた。しかし、最近ちょっと元気がないな、という程度であった。

それが突然の自殺である。私自身は新聞を開けてみて社会欄の左側にその記事があるのでびっくりした。慌てて彼の自宅に電話して駆けつけたのである。彼のご両親が横たわった彼の体の横で正座して座っていた。彼の顔の上には白い布がかぶせてあった。口元がちょと見えたが、苦しそうな口元であったことを記憶している。

Y君は、私宛に遺書を残してくれたが、その中の次のような文章を覚えている。「自分はむかしから自分の中の異常性に気づいていた。その異常性は何かを見つけて克服するために大学では心理学を学んだ。何とか生きていこうとしたが、もはや力尽きた」というような文章であった。彼は大学では心理学を専攻していた。

彼は自分では異常だと言っているが、私は彼の中の異常性にまったく気付かなかった。お酒は頻繁に一緒に飲んだが、深刻な話はせずに、毎回人の噂とか馬鹿話で、彼と酒を飲むことは私にとってストレス解消になっていた。Y君の中に潜む「心の闇」にはまったく気づかなかった。

心理学とは「人」の心理に関心を持った人が研究するだけではなくて、「自分の心の闇」を克服するために研究するものとはその時に初めて知った。それ以来、心理学を専攻している人を見ると、たしかに自分自身を知るために、自分自身が何かを知って乗り越えるために、心理学を研究していると思える人を何人か見た。

彼が自殺してから、数年は時々彼の夢を見た。それを見た時の自分の気持ちは、「彼は死んだという噂を聞いたが、まだ生きていたじゃないか。よかった、よかった。元気でいてくれ」というような感じであった。しかし、夢の中でも彼は元気な顔をしていなかった。

彼が死ぬ数か月前だが、ある女性に声をかけたが振られちゃった、と苦笑しながら話してくれたことがある。その女性が彼を受け入れていたら、彼は何とか生きる気になっていたのでは。青年期特有の複雑な時期を過ぎさえすれば、また元気になり今でも生きていたかもしれない、と考えたりする。

さて、私も忙しさが一段落ついたら、N君を誘って、東村山にある彼のお墓参りしようかと思う。あれから40年近くが過ぎ去ってしまったのだ。

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