摂氏と華氏について

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2015-08-28

自分が好きな随筆は3つほどある。夕方、焼酎を飲みながら日本語で書かれた随筆を読むことが大好きだ。お気に入りの一つは『徒然草』である。次は正岡子規の随筆集で『仰臥漫録』とか『病状六尺』などである。また、永井荷風の『断腸亭日乗』も大好きである。これらは、今で言えばブログみたいなもので、この3名が今の時代に生きていたら必ず有名ブロガーになったと思う。

ところで、気になっていたのは、子規の時代は摂氏と華氏のどちらを使ったのかという点である。『仰臥漫録』では、岩波文庫版で9月23日(p.67)に、「寒暖計82度」とある。3月12日(p.132)に「朝寒暖計50度ばかり」とある。しかし、6月30日(p.135)では、体温37度2分とある。つまり、気温を計るときは華氏を使い、体温を計るときは摂氏を使っている。

『断腸亭日乗(上)』岩波文庫版(p.261)で1932年の9月18日だが、「寒暖計を見るに華氏70度なり」とある。体温はどちらの尺度を使ったのか?永井荷風も時々は風邪を引いただろうから、そのときは体温の記述をどうしたのか調べていたが、どうも見つからない。

『徒然草』では当然、摂氏も華氏の記述はない。当時は寒い暑いを数量化して計測しようという概念はなかったと思う。大きさや重さも計測するという概念はない。徒然草に出てくる数字は、年齢と月日ぐらいである。このように数字の出てこない計量化される以前の世界はいいなと思う。

まとめると次のようなことか。戦後しばらくまで気温は華氏で測っていた。しかし、体温は摂氏で測っていた。それが徐々に摂氏で計るように統一されてきた。

この計量化された世界は我々にとってストレスの元である。給料日まで4万円しか残っていない。39度で暑い。ローン5万円を払う必要がある。体重が2キロ増えた。身長が4センチ伸びた。保険勧誘で4名が入ってくれた。など数字で人々は喜んだり悲しんだりする。

自分は、早く退職して数字とは関係ない、のんびりした生活に入りたいが、どうか。つぎは、血圧、血糖値などの新たな数字の世界が待ち構えているのだろう。

 

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