昨年の今頃は何をしていたか?

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2015-09-15

ふと昨年の今頃は何をしていたのか気になって1年前のブログを見てみた。このように昔の事をすぐに調べられるのがブログの便利な点である。9月の半ば頃、2週間ほどブログの記入がない。どうしてかと考え込んでしまった。あれ?海外に行っていたのかな?それとも里帰りをしていたのか?2週間ブログに投稿しないとは、よほど忙しい事があったのだろうが、それが思い出せないのだ。

その事は気になるが、それ以外では、母の様子が頻繁に記してある。このころに、お医者さんから言われた事が書いてある。

母の病棟に週一の頻度で見舞いにいっている。先日、担当のお医者さんから次のように言われた。「近頃、誤嚥が多くなり、酸素の濃度が下がることが多くなってきた。管を入れて酸素を吸入したりして対応しているが、不測の事態が起こることもありうる」とのことであった。母はコミュニケーションはある程度はできるので、まだまだ元気かと思っていたが、飲み込んだりする力(=筋力)がかなり衰えているようだ。(9月19日)

それまでは、見舞いに行くと、ある程度は母とコミュニケーションが取れていた。自分としては、励ましのつもりで、「母さんが元気になったら故郷の町をまた訪れて懐かしい人に挨拶をしよう」などと言っていた。それに対して、母は小さくうなづいていたが、「もう行けんやろ」と言ったりもした。自分の残された時間がほとんどない事を知っていたのだろう。

そして、次第に母とコミュニケーションを取るのが難しくなっていった。見舞いに行っても母はぼんやりとしていて、話しかけても返事がない事が多くなっていった。それから4か月ほどで母はなくなったわけだが、逆に言うと、コミュニケーションが取れなくなったら、あと4か月ぐらいの命だということだろう。

1月15日が母の命日だ。母がなくなってから8か月たった。母は永遠の無の中にいる。人間は誕生前の永遠の無と死去したあとの永遠の無の間の一瞬の輝きの時だけ生きる。

永遠の時間というが、その長さが実感できない。永遠に、無限に、とはどれくらいの長さなのか。空間は有限だとの説を聞いた事がある。空間は閉じている。たとえば、同じ方向にずっと進んでいくと元々いた場所に戻ってしまうそうだ。空間が有限で、時間が無限ならば、宇宙にある物質の配列は変化するが、今と同じ配列になる時が無限にあるわけだ。

すると自分は幼児に戻りまた父母と出会える事もありうるのか。あるいは自分は金持ちの人生を送る事もありうるのか。そんな事が可能になるくらい、無限とは長い時間なのである。不思議だ。


昨年の9月30日の投稿記事を見たら、キンモクセイが咲き始めたとある。そうか、もうキンモクセイの季節なのか。キンモクセイが咲くと秋の訪れを感じる。晩秋の到来さえも感じる。ふーん、こんな風にして一年が過ぎ去っていくのだな、としばし感傷にふける。

 

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