老ノ坂峠を越える

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2015-10-05

このところ寒くなってきた。家の中では半袖と半ズボンで大丈夫だが、家の外に出る時は半袖では寒い。通勤も長袖を着用するようになった。

さて、昨日は亀岡のアルプラザでショッピングをした。亀岡に行くためには、傾斜の急な山陰道を登り老ノ坂峠を越えていく。現代は車であっという間にこの坂を越えてしまうが、昔はこの坂を越えるのはかなりの難技であったと思う。

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この道の両側は巨木が多くて昼でも薄暗い。人が住むのは日が当たらないので難しい。昔から通行の難所であり、京都を守るには最適の場所であった。この山陰道には幾つかの歴史的な出来事がある。一つは亀岡城にあづけられていた豊臣秀次の家族たちがこの道を通って三条河原に運ばれて処刑された事件である。この話は2015年2月21日に「瑞泉寺を訪問する」という記事で触れてある。

もう一つは、亀岡の城主だった明智光秀がこの道を通って本能寺の明智光秀の襲撃に向かったことだ。明智光秀はどの時点で謀反を決意したのか。はじめは羽柴秀吉の救援に向かおうと兵を動かしたが、途中で謀反を決めたのか、それとも最初から心は定まっていたのか。

信長を襲う光秀の侍たち
信長を襲う光秀の侍たち

この暗い山陰道を進む光秀の気持ちは如何?さらに、その配下の武将たちの気持ちは如何?と430年前の出来事を想像する。大変な決断だったろうと思う。山崎の合戦に光秀がもしも羽柴秀吉に対して勝っていたならば、歴史はどうなったか。いずれにせよ、負けたことで歴史書では彼は冷酷で残虐な人物として描かれることになった。勝てば官軍、負ければ賊軍である。

京都には歴史がいろいろ詰まっている。歴史を知らなければ単に陰気臭い山道が、歴史の光をあてることで、生き生きとしてきて、人の想像力を刺戟する風景になる。

さて、最近は山陰道に並行して京都縦貫道が完成した。車の動きはそちらが主流になっていく。この山陰道も次第に忘れ去られていくのであろうか。

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