父の日記

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1014-10-10

先日、石川県の実家に立ち寄ってみた。誰も住んでいない家だが、久しぶりに訪ねて、簡単な掃除をした。仏壇の中に先祖の法名が出てきた。法名(浄土真宗では戒名ではなくて法名と呼ぶ)には亡くなった月日が記されていた。それによれば、父は2月1日、祖父は2月17日、祖母は2月25日、祖母の母は2月2日と、全員が2月に亡くなっていた。石川県は冬は厳しくて、病気がちの年寄りは冬を越すことが難しいようだ。自分も2月は気をつけなくてはいけないと感じた。

父の死はくも膜下出血であった。昼は元気で買い物に出かけたりしたが、夜になると仕事場で急に倒れてしまい、救急車を呼んだりしたが、すでに手遅れだった。その父は日記をつけるのが好きで白いカバーのかかった日記をたくさん残した。実は、この日記への対応が厄介である。自分の死期が近づいていることを知った人はいろいろと身辺の整理をする。遺しておきたくないものは捨てていく。しかし、父のように、思いがけなく死んだ人の場合は困ったことになる。

白いカバーの20冊ほどの日記は、正直言って読みたくない。何が書いてあるか分からない。「息子は自分とは血がつながっていない」などの告白でも書かれてあれば仰天してしまう。赤の他人の日記であれば、何が書いてあっても平気で読めるが、だが、肉親だと、生々しい告白は苦手である。

しかし、捨てるわけにはいかない。いまも実家の書斎の本箱にそろえて置いてある。読まないでずっと置いておこう。自分の子どもたちが読んでくれればと思う。世代が一つずれれば冷静・客観的になれるのではと思う。あるいは、子ども達は昔の話は関心ない、とこれらの日記を捨て去るかもしれない。それはそれでいいだろう。

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