ドラゴンクエストIIIの思い出

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2015-10-07

自分の人生を振り返れば「この瞬間だ、今、自分は生きていて本当によかった!」と強い感動に浸ったことはあまりない。自分はどちらかと言うと理屈っぽいところがあり、何事も素直に受け止めることができない性質がある。そんな自分でも心から感動した瞬間が幾つかあるが、そのうちの一つはドラゴンクエストIIIをプレーした時だった。

自分は30代の中頃からファミコンが流行し始めた。何気なく購入したが、『スーパーマリオブラザース』とか『ゼルダの伝説』などをプレーして面白いなと楽しんでいた。ドラゴンクエストIとIIも楽しんだ。そして評判の高かったドラゴンクエストIIIを購入する。

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冒頭の音楽が素晴らしい。これから自分は冒険の旅に出発するのだ、という興奮を感じてしまう。時々はモンスターと出会うが、その戦いは数字の戦いになる。経験値を積んで、お金を集め、それで武器と防具を購入して、また聖水や薬草を購入して、自分の体力を高める。そして、レベルを高めていく。それらは全て数字で示されるので、自分で納得しながら、つまり計画を立てながら行動することができる。

ドラゴンクエストの世界では、きちんとノートを取らないといけない。あてずっぽうに動き回っても成果は少ない。村人たちの話を聞いて、それをノートに記録しておく。それには謎解きの秘密が書いてある。どうしても、見つからない宝や打ち負かせないモンスターの攻略法のヒントが得られるのだ。

プレーを始めると中毒になってしまう。ボーツとしてしまい、自分自身でも、どちらが本当の世界か分からなくなってくる。ドラゴンクエストの世界が本当の世界で、この肉体を持った自分の世界が仮の世界で偽物の世界のように思えてくる。

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旅びとの宿屋に泊まり体力が回復する。そして世界中を巡る。ドラゴンクエストIIIの世界は、実際の世界を変容した世界であり、日本ではヤマタノオロチに出会ったり、アフリカでピラミッドに登ったり、北米ではインデアンの村を訪れたりする。

自分が一番印象深いのははじめてラーミアという鳥に乗って世界を飛び回ることができるようになった時である。世界に散らばる6つのオーブを苦労して集めて、ほこらの台座に捧げると、ラーミアという鳥が復活する。

苦労して、オーブを手に入れてラーミアを復活させた時は本当に嬉しかった。ラーミアを空飛ぶ乗り物として利用することができる。今まで苦労して動き回った世界を、空から自由自在に動き回れるのは大変な快感であった。

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音楽は「おおぞらをとぶ」であり、大空を飛ぶことと優雅な音楽がマッチしていて忘れならない名曲だ。作曲は、すぎやまこういち氏である。

一週間ほどこの世界に浸りきりになり、ラストボスを倒して私はようやく現実世界に戻ったわけだが、とても忘れららない思い出だ。それからもドラゴンクエストのシリーズを楽しんだが、自分は年とともに体力的にもしんどくなり、次第に遠ざかるようになった。しかし自分の子供達は後を受け継いで楽しんでいたようだ。

ドラゴンクエストをプレーしたことは、自分にとって、忘れられない経験だ。そして実際に旅に出るよりも面白い世界がスクリーンの中にあるのだという実感を得た。我々は安易に「ひきこもり」の人々を非難する。「家の外に出ろ」「空想の世界に浸ってばかりいないで、現実の世界を経験しろ」とアドバイスする。しかし、彼らの方が本当は充実した世界を経験しているのかもしれない。


自分は昔からエリアーデという宗教学者の本をよく読んできた。そして「通過儀式」という概念に関心を持っている。現代の若者にとってファミコンゲームが通過儀式の性格を帯びるようになったという仮説を持っている。苦労して、知恵を働かせて、森や海を越えて、モンスターを退治して最後に故郷に凱旋する。まさしく通過儀式ではないかと思う。もう少し考えをまとめて後日語ってみたい。

 

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