2015-10-10
昨日のお昼頃、ある方から電話をいただいた。来年のことだが、ある学会の全国大会でシンポジウムを開催する。その時にパネリストとして参加してくれないかという依頼だった。
魅力的なシンポジウムの内容で多くの人々の関心を集めるに違いないものであった。しかし、自分は辞退せざるを得なかった。それは来年度は自分は退職して自分のの研究室がなくなるからである。本、雑誌などの資料はすべて石川県の実家に送るのだ。そのことは9月13日のブログ「研究室の本を少しずつ搬出する」に述べた。
シンポジウムのパネリストに指名されると、その内容に向けて数か月前から準備しなければならない。発表の内容とか、予想される質問に対する想定問答集などを作成するのだ。その時には、研究室いっぱいに資料や雑誌を並べ、それらを見ながらメモをとって、頭の中をまとめていく。
資料は実家に送ってしまえば、手元には何も無くなる。もしもあったとしても、資料などを広げる場所がない。そんなことで、シンポジウム自体は魅力的であったが、自分は辞退せざるをえなかった。
あと、自分は退職したら無職になる。パネリストが並ぶ時に、参加者たちの紹介として「大学教授」という肩書きが並ぶ。自分だけ無職という肩書きが付くのは恥ずかしい気がする。そのことも辞退した理由の一つだ。
そんなことで辞退した。電話でその方(大会の実行責任者)は参加を熱心に勧めてくれたが、申し訳ないが、辞退せざるを得なかった。退職していくことで世間との繋がりが次第に切れていくことに寂しさを感じる次第である。
ところで、先日、ノーベル賞の発表があった。日本人が二人ほど受賞したそうだ。そのうちの一人の出身高校が自分と同じだ。同じ高校を卒業しても、一人はノーベル賞をもらうほど偉くなるし、私の方は老後破産を心配しながら細々と生きていくことになる。なんという違いか。
