2014-10-11
昨日のブログの中で、自分は夢を見るがほとんどが重苦しい夢、何かに追いかけられている夢であると述べた。今日は、ある知人と電話で雑談することがあり、その時に、自分の見る夢の内容について語った。すると知人は、「長い付き合いだから分かるけれど、あなたには心気症の傾向がある」と言って、「いつもあなたは心配性であると感じ、心配し過ぎだと思うことが多かった」と付け加えた。
自分は「心気症」か、そう言われると何となく納得する。言葉で定義付けをしてもらうと安心する自分がいる。よく聞くことだが、医者が患者の病名を正確に言い当てることが治療の第一歩であるようだ。病名が分からずに、とんちんかんな治療を一生懸命しても快復には結びつかないのである。心気症はドイツ語では Hypochondrie という。このヒポコンドリーは日本語にもなっている。
何か分からないものがあれば、人は不安になってくる。漠然としたものを漠然としたままで受け入れることはできない。それに対して、人々は実にさまざまな言葉を与えてきた。天命、宿命、運命のいたずら、勢いに乗る、つき、ジンクス、場の空気、などである。
太古の人間たちの住む村落のまわりはおどろおどろしい魑魅魍魎の住む不気味な世界であった。自分の力に目覚めた人間達は少しずつ村の外に出かける。開拓、開墾が始まっていく。その途上で出会った不気味なものにいろいろな名前を付けていく。仙人、天狗、河童、山姥、たぬき、きつね、などである。未知なるものが既知になるのである。村人達の世界は広がる。しかし同心円は広がったが、同心円の外側は永遠に未知の謎めいた世界である。現代のようにきわめて広がった世界でも、同心円の外に存在する「何か」に人間は相変わらず名前を与えて取り込もうとする、エイリアン, ET, 宇宙人、空飛ぶ円盤、などの言葉である。
しかし、人間は名前を付ける、命名すればそれに安心してしまうことがある。世界中の存在する物に名前を与えることは、世界を知ることであり、世界を征服することになると考えている。
自分の性質として命名作業ににあまり関心がない。例えば、人の分類は苦手である。「あの人は〜である」と割り切ることができないタイプである。自分のような性格の人間はヒポコンドリーになりやすいようだ。それならば、自分が心気症を乗りこえるとしたら何をすればいいのか。世界の森羅万象に名をつけて、何でも割り切っていくことで、心気症が直るのか。