年上が タイプだけれど もういない

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2015-11-23

ネットでヤフーニュースを見ていたら、シルバー川柳があり、そこで面白い川柳がいくつか披露されていた。私が一番面白と思ったのは、92歳の高齢者の作った川柳 「年上が タイプだけれど もういない」である。たしかにその歳になったのでは、相手をしてくれる年上女性はいないであろう。

私のタイプは年上か年下かは、置いておき、私の歳になるとロールモデルがいなくなる。人間は誰でも「この人のようになりたい」と目標にする人がいる。自分が若いころは立派な学者になりたかった。あこがれる人は加藤周一であった。この人は、古今東西の書に親しみ、自然科学も人文科学も社会科学も精通している。しかも英独仏と3言語をよく理解する。知の巨人としか言いようがない。

最近の自分は目が腫れぼたくなり、目の下に袋みたいのものができている。加藤周一の顔も目の下に袋みたいなものができている。鏡を見るたびに、自分は加藤周一に似てきた、と結構喜んだものである。若いころはこの人の本をよく読み、文体もこの人の真似をしようとした。

外国人ではルーマニア出身の Mircea Eliade という宗教家・思想家が好きだった。この人のように世界を動き回りながら、卓越した本を書いていきたいと考えていた。

ただ、このような人たちは遠くから見て憧れるだけだった。自分のロールモデルとなるのは、身近にいて、一挙手一投足真似ができる人である。会社員時代とか、教員になりたてのころは身近にそのような人がいて、一生懸命その人の真似をしようとした。

困ったのは、この年になると、そんな人たちは身近にもういないことである。モデルとしたい人がいないのである。自分は今60代の半ばである。自分のロールモデルとなる人は10歳か20歳ぐらい年上の人になる。しかし、そんな人たちは、寝たきりとか認知症の人が多くて、ロールモデルにはならない。

ロールモデルはとても大切である。自分は女子大に勤務しているが、大学ではよく社会で活躍している女性に講演をしてもらう。つまり学生たちにロールモデルになりそうな女性を身近なところで見てもらい、これからの人生の参考、アイデアを得てもらいたいのである。

話は飛ぶが、イスラムの貧しい地域に住む少年たちにとって、ロールモデルになるのは、自爆した先輩たちなのである。貧困ゆえに過激思想に走った少年たちにとって、真似ができる成功した大人は身近にいないのである。大人たちはみんな貧困に喘いでいる。ロールモデルとしたい大人に会えないのである。すると、そのコミュニティーの中で、最も讃えられているのは自爆テロした若者である。幼い少年の心にはそのロールモデルが焼き付けられる。

イスラムのテロをなくすためには、少年たちに自爆テロ者以外のロールモデルを与えることである。そのコミュニティーの中に成功した実業家、タレント、スポーツ選手、医者・建築家などの専門職の人たちがロールモデルになるようにすればいいのである。そのような人はまだ育っていない。社会に富が蓄積されるまでしばらく待つ必要がある。


最後に、シルバー川柳で面白いものをさらにいくつか紹介する。出典は http://www.mag2.com/p/news/123524

「歩こう会 アルコール会と 聞き違え」
「LED 使い切るまで 無い寿命」
「起きたけど 寝るまでとくに 用もなし」
「改札を 通れずよく見りゃ 診察券」
「恋かなと 思っていたら 不整脈」
「マイナンバー ナンマイダーと 聴き違え」
「アルバムに 遺影用との 付箋あり」
「LED 絶対みてやる 切れるとこ」
「立ち上がり 目的忘れて また座る」
「湯加減を しょっちゅう聞くな わしゃ無事だ」

M_A223

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