2016-01-09
今日は職場で忙しかった。来年度のシラバスをようやく書き上げた。これで、必要な書類はだいたい作成した。教員という職業は毎年たくさんの量の書類を作成することが宿命である。毎年似たような書類を作成しているのならば、前年の書類を利用すれば、と思う人がいるかもしれない。
たしかに、今までに作成した書類を参考にしながら少々加筆していく書類も多いが、まったく新しい書類をゼロから作成することも多いのである。
しかし、何はともあれ、自分の仕事が一段落ついたので、いよいよ最後の仕事に取り掛かる。それは片付けである。退職していく身としては、研究室を空けるためにも、さまざまな本や書類の山の処分を始めたい。
ところで、母が亡くなったのは、昨年の1月15日である。早いもので、もう1年ほどが経過したのである。自分が檀家になっているお寺さんから手紙が来て、一周忌をどうするのか、と聞いてきた。一周忌はどうしたものか。これが大きな悩みである。
おこなうとしたら、石川県の実家で行うしかない。あるいは実家の近くの旅館でも借りて行うことも可能だ。費用はどれくらいかかるか、30~50万円ぐらいか。ただ、親戚の人を呼ぶとしても、石川県に残っている親戚はほとんどが物故したか、寝たきりの高齢者である。若い人でもこんな寒い時に呼ばれては、さらに何がしかのお金を包むことになるので、歓迎しないだろう。
父親の一周忌も行っていないので、自分はとても気にしている。昨年暮れに、実家に書籍を運んだ時に、仏壇へ行って、父と母の写真の前で、供養を怠っていることを詫びたのである。壁には父方の祖父母とその父母の写真も飾ってあり、みんなが私を見ているような気がした。
自分がこの世に生まれるのに関与してくれた先祖たちの写真を見ると、自分の義務は何であるか分かってくる。「ごめんなさい、供養はするから、ちょっと待って欲しい」と小さくつぶやく。実家の荷物を整理整頓して、きちんと中を整えてから、ほんの身内だけだが、数年後に、三回忌という形で供養したいと考えている。
さて、母のなくなった1月15日はどうしよう。自分は母がお世話になった病院に行ってみようと考えている。病室までは行かないで駐車場まで行って、病室の方向を向いて手を合わせてみようと思う。その日は精進料理にしよう。とにかく、なんらかの形で母の物故した日を覚えておきたいと思うのだ。自分の中に末長く記憶しておきたいと考えている。
