2016-01-15
今日は母の命日である。一年前のこの日に母は身罷った。もう一年もたったのかと思うと感慨無量である。今頃、母は父と再会して、地上の我々を見ているのか。あるいは、永遠の無の中にいるのか。とにかく、この世界からあの世の世界の間には、絶対的な断絶があるので、彼岸の世界がどのようになっているか知ることは全くできない。
母の一周忌を行うことができないことを自分は非常に苦にしている。郷里にいるのならば、無理をしてなんとか一周忌を行うことができるのだが、ここ京都にいてはどうにも動きがとれない。それで、その代わりに、今日の夕食の時にでも、母の御霊に「安らかなれ」と家族一同で祈ろうと思う。
時々、自分の死について考える。此岸の世界から彼岸の世界へと、そこへの移動は絶対的な移動であり不可逆である。そのことを考えると怖い。しかし、年を取るとともに、その怖さがやや麻痺してきたように思える。
若いころに感じた死は、観念的な死であり、遠い未来の出来事であった。しかし、この年になると、具体的な形を示してくる。自分の父方の祖父母、次が母が他の祖父母、そして父、そして昨年、母を看取った。死の有様をこの目で見てきた。そして、祖父母、父母などの年長の肉親がすべてこの世から去ると、自分が今、死と直面するようになったのである。死が非常に近づいてきたのであるが、なぜか、昔ほど怖くはない。おそらく、怖さという感情も麻痺したのかもしれない。
ともかく、今自分は生きている。この瞬間に生きている。それゆえにこの瞬間を充実して、一瞬一瞬をしっかり味わって生きる。それ以外に何もできない。
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