今朝見た夢を考える

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2016-01-24

今朝、次のような夢を見た。自分が図書室にいる。自分は図書室の管理係のようだ。すると女子学生が一人来て、「母親が住井すゑの小説『橋のない川』を第5巻まで読んで泣いて感動した。続きの第6巻を探している。貸して欲しい」と私に頼む。そこで奥の部屋に入ってその本を探す。『橋のない川』の第6巻を見つける。そして取り上げるとその本が他の本に変化してしまった。不思議に思うがどうも他の本になってしまった(自分が目覚めた直後は変化した本のタイトルを覚えていたのだが、こうしてパソコンに向かうと、そのタイトルを忘れている)。仕方ないので、見つからないと謝る。すると、その女子学生はがっかりしたような顔をして去って行った。

そんな夢だった。自分は『橋のない川』は1巻か2巻までしか読んでいない。被差別部落の人々に関する小説で、内容はそれなりに感動的であったが、この数十年は、思い出したことはない。なぜその本が突然自分の夢の中に現れるのか。

自分の夢は、全然考えたこともない事象が突然現れたりする。つまり自分が想定できる範囲を超えた話が夢の中で出てくる。それで不思議に思うのだ。なぜこんな夢を見るのか。普段の自分の生活とは全く関係ないではないか。

自分は超自然的な現象は信じない。神からのお告げだとか、神的な存在物からのメッセージを受け取っているなどとは考えない。

これは生物学的に考えるべきだと思う。自分の先祖たちの記憶が自分の脳に残っている。先祖とは、さかのぼって原人類、猿、哺乳類、爬虫類、両生類、魚類へと、そしてさらに、さかのぼりやがてはアメーバに至るまでの記憶が自分の中に刻み込まれていると考える。それは本能とも結びつくのだ。

日常生活では、意識はコントロールされており、太古の記憶は出現しないのだが、夢の中ではコントロールが弱まり、太古の記憶が現れると考える。あるいは目覚めている時でさえも、太古の記憶はある程度は我々に関与している。

例えば、恐竜映画であるが、『ジュラシックパーク』は人気である。我々の先祖が哺乳類であった頃、中生代は、巨大な爬虫類である恐竜に追いかけ回されていた。その記憶は残っている。そのために、形は小さくなっても、爬虫類である蛇やトカゲやイモリなどを見ると恐怖を感じるのであろう。しかし、他方ではその中生代を懐かしいとも感じている。『ジュラシックパーク』を見ると、恐怖を感じるが同時に何か懐かしいという感じを抱くのはそのためであろう。

私はよく高いところから墜落する夢をみる。人類は基本的に平地を歩くのであり高いところから墜落することなどはめったになかったと思う。しかし、猿の時代に、高い木の上で過ごしていた我々の祖先にとっては、墜落とは常に直面する危険であった。猿の一生は常に「落ちないように」と意識していたに違いない。猿の時代の恐怖の意識が、私の夢の中に現れると考える。

こんな風にして、夢を見ると、自分の先祖たちのどの体験や意識につながるか考えてみる。この夢は魚類だった頃の体験につながるとか、両生類だった頃の体験か、どの時代の記憶と夢がつながるのか解釈を試みている。

さて、今朝の夢の中に出てきた『橋のない川』はどのような太古の記憶とつながるのか。これはまだ、つながりはよく分からない。

photo credit: Anolis sp. via photopin (license)
photo credit: Anolis sp. via photopin (license)
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