日中の友好について

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2016-02-04

昨日、ある先生からお電話をいただいた。最近のアジアの情勢について先生の考えをお聞きするいい機会であった。その先生はかなりの年配の先生であり、大連の生まれである。

先生が住んでいた頃の大連の思い出を語ってくれた。戦中、戦前の満州と呼ばれた現在の東北部は、かなり貧しい地域であったそうだ。大連の町は冬になると気温は零下で30度ぐらいになり、毎日、朝になると凍死体が何体も通りにころがっていたそうである。人々の生活は貧しくて、夏も冬も同じ服で、つぎはぎだらけの服を着ていたそうだ。また、日本人街があって、その地域は戦後はしばらくは残っていたそうである。電車なども日本人用と満人用と分かれていたそうだ。それだけの差別があり、いわばアパルトヘイトのようなものであったという。

戦後は日本兵の何人かは共産中国軍に徴兵され、また何人かは国府軍に徴兵されて、互いに戦ったことがあるそうだ。そのような兵士は朝鮮動乱の時にも戦ったそうである。いろいろなことがあったようだ。先生は戦後に引き揚げてきたのだが、いろいろな体験をしており、日本が中国に対してどのようなことをしてきたかは痛烈に反省すべきという。

現代は政府レベルでかなりいがみ合っているが、いつかは両国の関係が友好的であるようになって欲しいと、せめて民間レベルでの友好的な付き合いは続けて欲しいとの先生の願いであった。王毅外相が駐日大使であった時は、何回がお会いしてお話をしたことがあるという。王毅氏は政府の要人としてどうしても国の立場から発言しなければならないことがあるが、本音は日中友好を願っていると先生はおっしゃった。

先生は現在は体調をくずされているが、回復した暁にはまた中国を訪問したいという希望を述べられていた。先生の体調の回復を祈願すると共に、両国が友好的な関係になることを願いたいものである。

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