授業評価について

スポンサーリンク
Pocket

2016-03-12

教員は授業評価を学生から年に2回ほど受ける。どこの大学でも行っていると思うが、高校や中学校ではどうであろうか。責任持った評価は大学生でないとできないとして、中学校や高等学校では行っていないかもしれない。

大学でも30年ほど前は授業評価という制度はなかった。私は個人的に自分の授業の評価を紙に書いて感想を書いてもらっていた。字体から誰が回答したかがわかると学生は考えるのか、特に厳しいコメントはなかったように記憶している。

現在のような、インターネットに打ち込んでの評価は、いつごろか、だいたい10年ぐらい前から一般化したようだ。コメントと同時に数字で評価する。この授業は自分にとって満足がいくのならば、5であり、満足ができないならば1と評価する。その間にいくつかの段階があり、1から5まで5段階で評価するのだ。

アメリカでは、その評価によって翌年の契約の更新が決まったり、給与に反映すると聞いたことがあるが、日本ではそこまで評価を重視する例は稀なようだ。要は教員が自分の授業を翌年に改善するための参考資料として活用することが目的だ。

ただ、この評価も使い方を注意しないと問題だ。同じ英語の授業でも、英文科の学生に評価してもらうと、英文科の学生は英語が好きな学生が多いから高く評価するが、他学科の学生は英語嫌いが多いから、評価は厳しくなる。

また、少人数のクラスは学生と仲良くなるし、互いにコミュニケーションが進むので、評価も高くなる。しかし、クラスサイズが多いと一人一人の学生に目が行き届かなくなるので評価は低くなる。

選択の授業ならば、授業を気に入らない学生は履修を取りやめる。その授業を気に入った学生だけが履修するから評価は高くなる。しかし、必修の授業ならば、嫌々取る学生がでてくるので、憎悪の対象となり、評価は低くなる。

大多数のクラスサイズだと、その中で中レベルの理解度の学生を念頭に授業するから、評価の時のコメントは、「授業の程度が低い、遅すぎる」とコメントする学生と、「授業の程度が高すぎてわからない、スピードが速すぎる」と回答する学生の両方がいる。要はクラスサイズを、能力別に細かく分ければいいのだが、これは一人の教員が処理できる問題ではなくて、学校全体の問題だ。

私へのコメントにはシビアなものがある。「黒板の字が汚い」「口がもごもごして何を言っているのかはっきり聞こえない」「何かうまく行かないと舌打ちするのがイヤだ」「ポケットに手を入れて授業をするのはみっともない」「パワーポイントを使う時に、機器がうまく機能しないと悪態をつくが、みっともないからやめてほしい」などと書いたあったりする。これは翌年からは反省して、そのようなことはないように私はしているが、こちらも大変だ。

「寝癖ついた髪のままで授業に出ている、髪の毛をちゃんととかすように」などと書かれると、苦笑する。そう寝坊してあわてて学校に駆けつけたこともあったっけ。こう細かくコメントされるとこちらもひやひやだ。

でも、褒めてくれるコメントもあるので、それはうれしい。「わかりやすくてよかった」とか、「とても参考になる授業だった」などのコメントをもらうと、来年も頑張ろうという気になる。とにかく、学生からの授業評価には教員は敏感なのである。

DSCN7462

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください