言語サービスを再定義する。

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2016-06-09

先般、科研の代表研究者のN先生から、言語サービスを再定義すること、つまり、2016年のこの時点での座標軸の上から、見直しが必要では、という指摘を受けた。たしかに、時代に合わせた見直しが必要であるので、その試みを考えてみた。今までは以下のような定義を示していた(『自治体の言語サービス』[春風社]pp.6-7)。定義は二つがあり、それぞれが結びついて有機的な定義となっていた。


第一の定義(具体的・技術的な側面)
「外国人が理解できる言語を用いて、必要とされる情報を伝達すること」
第二の定義(理念的な側面)
「外国人住民の母語によるアイデンティティを守り、その文化の発達を支援すると同時に、日本人住民との共生社会を作っていくための言語政策の一つである」


(1)「言語サービス」という表現だが、「言語」と「サービス」という二つの視点に分けて考える。もっとも「言語」という表現を使ったが、実は言語だけに限らないのである。それに付随するもろもろの情報の提供である。知的活動への援助ということである。それゆえに、「情報サービス」という表現もいいが、「情報」とすると本質が見えにくくなる。情報社会のように使われて「科学的」というニュアンスがついてしまう。情報という言葉は非常に曖昧である。情報を提供すると言ったとする、と具体的に何をするのかわからなくなる。「日本語のパンフレットを渡してこれ読んでおいて」と言うだけだったり、「英語のホームページがあります」と述べるだけだったりする。情報サービスという言い方では、外国人の理解できる言語で情報を提供するという側面が見えなくなる恐れがある。よって「言語サービス」という表現において、先頭の「言語」の部分はこのままがいいであろう。

(2)「サービス」という言葉の持つ意味合いだが、無償で提供する。提供者が善意でもって行うというニュアンスがでる。これは問題であろう。外国人・外国人住民が権利として要求できるもの、という意味合いが薄れてくる。当然の権利を要求するという意味で「言語権」を定義に含めるのはいいだろう。「外国人が人として本来的に所有する言語権に基づいて、日本の公的機関が提供する言語サービス」と考えられる。

(3)外国人と外国人住民と分けたが、「外国人」は観光客を含めた短期滞在者も含める。とにかく、両者に分かりやすく情報を提供することである。たとえば、トイレはどこにあるのかというようなことも含まれる。現状の「外国人住民」とすると長期滞在者あるいは移住して日本国籍を取得した人だけというニュアンスとなる。短期の滞在者は含まないというニュアンスが生まれる。もっとも、短期の滞在者が必要とする言語サービスは長期の滞在者の必要とする言語サービスと異なる点もある。もちろん、共通の部分もある。そのあたりのことを踏まえて、「外国人住民」という表現は適切か検討の必要があろう。また、外国人住民は外国人市民という表現がふさわしいという意見も検討の余地がある。

(4)第二の定義の「アイデンティティを守り、その文化の発達を支援する」ことと「日本人住民との共同社会を作っていく」という命題は対立すると考えられる。この命題がうまく両立する道を探ることが必要である。一般に外国人住民は閉じこもりがちである。「家族」とか「同一民族というコミュニティー」に閉じこもりがちになる。どのようにしたら、その人たちを引っ張り出せるか。「多文化共生主義に基づくグローバルコミュニティーの中で、たまたま日本にいた人々が、適切にそのローカルな社会に円滑に参加できるようにする行為」と考える。この場合は、日本人住民や外国人住民との違いを意識しなくてもいいだろう。


などと、やや殴り書きのように意見を書いてみた。これは再度検討し直す予定である。

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