言語政策を国際比較する。

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2016-07-20

言語政策は国より、時代により異なる。その意味では、抽象的で純粋な言語政策はなくて、常に地理的・時代的な制約を受けて存在する。日本でも、明治期、戦前、戦中、戦後とそのときに行われた言語政策は異なる。なお、江戸時代より以前は、言語政策が自覚的に行われていたかは疑問だ。徳川政権では何も言語政策的なことを行わなかった、と断言してもいいだろう。

明治期ば、国家形成の時期である。当時は、国内における方言差が大きくて地方出身者同士でも意思の疎通が出来なかったことがあった。効率的な国家運営のために共通語を作り上げようとしたのである。その政策は学校教育を通して推進されて、程なく国民同士の間での意思疎通は可能になった。このような言語政策もある。

国家が植民地を持ったならば、いろいろな言語政策が考えられる。間接統治ならば、植民地に支配階級を温存して彼ら経由で植民地を支配させる。イギリスがマレーシアを支配した方法である。直接統治もある。支配階級を置かないで支配国が直接支配するのである。後者の場合は自らの言語を被支配下の住民に普及させる必要がある。アメリカがフィリピンを支配した方法がそれに該当する。戦前、戦中の日本は植民地に対して皇民化政策をとり、日本語の普及を行った。

戦後の言語政策の一つとして、文字の改革があげられる。これは日本政府が行ったのではなくて、GHQの指導の下に行われた。漢字の簡略化、歴史的仮名遣いから現代づかいへと改められた。

現代では、言語政策のあり方として、多文化共生社会をどのように可能にするか、そのための手段として言語政策があるのだと考えられる。日本では外国人住民の数が増えている。言語のために外国人住民が不当な利益を受けることは望ましくないという認識が生まれている。日本語がよく分からない外国人住民のための言語サービスの提供などがその例である。

また、観光客のための多言語サービスも言語政策の一つに挙げられよう。2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、数多くの外国人観光客の到来が予想されている。この観光客が言語の面でできるだけ快適なサービスを受けられるように言語政策が行われている。

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