言語政策の歴史とそのバリエーション

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2016-07-29

言語政策はどのように定義されるであろうか。公的な機関(国家、地方自治体など)が言語に関する政策を通して、人々の言語行動を変えようとすることである。単に言語行動を変えればそれで終了ではなくて、それ以上の目的、国の経済的な発展、国の団結の強化、国民の自尊心の樹立などが目的となる。

言語政策は各国によって異なるのだが、基本的には同じであると言えよう。あるいは、言語政策はその共同体の発展に従って、一定の同じような変化を示すとも言えよう。第一段階は言語政策の必要性を自覚することである。つまり、人々の言語行動が言語政策で変化できる、あるいは変化させるべきとの認識である。第二段階はその言語政策の実行である。言語政策を実行する機関が成立される。そのもとに言語政策が遂行されていく。

その場合は、政治的な目的、経済的な目的と精神的な目的の3つに区分けされる。19世紀から20世紀にかけての世界の歴史における特徴的な時代であった。植民地支配の開始とその終焉である。植民地支配を効率的に遂行するために、言語政策が大いに活用された。植民地は多くの場合、多言語国家である。この分裂状態を維持することが支配国にとってもっとも好都合なことであった。Divide and Rule という法則を用いたのである。それでも行政の推進のためには、共通語が必要である。多くの場合、支配国の言語を用いたのである。それは政治的な目的である。

そして、20世紀になり民族自決で次々と西洋列強の支配から独立していく。そのばあい、一般的な傾向としては、宗主国の言語を排除して、新しい共通語を樹立しようとするのである。これは精神的な目的であるとも言えよう。独立したしばらくの間は、植民地支配国の言語を共通語として利用している。しかし、それを続けることは、つまり、植民地支配国の言語を用いることはいつまでも負の遺産をかかえることになる。それは、是非とも避けるべきと考えるのである。

マレーシアは建国の際には、マレー語、中国語方言(広東語、福建語、客家語、潮州語など)、タミル語など様々な言語を話す集団を含んで建国したのである。各集団の共通の言語が絶対的に必要である。しばらくは英語を用いたが、徐々にマレー語を国家統一の基盤にしようとした。しかし、それは中国系の民族などからは反発を受けたのである。マレーシアの言語政策の歴史は、どのようにして、旧宗主国の英語を排除して、かつ少数民族の言語話者の主張を抑えながら、国語であるマレー語を普及させようとしたかの歴史である。中国系の言語話者は自らの言語をもっと重視されるべきであると唱えたのである。

このように、独立してから徐々に宗主国の言語を排除して、新しい共通語を決めようとする。しかし、そのときにさらに問題が起こる。どの言語を新しい国家の共通語にするか、意見の合意が定まらないのである。これらは多言語集団の新興国の特徴である。

ただ、一つの言語集団だけならば、独立後の言語選択は容易である。その言語を用いればいい。ただ、支配されていた間に宗主国の言語がいろいろと入ってきたであろうから、言語の純化運動が進められる。その典型は朝鮮半島の例である。そこでは民族の伝統の再評価がおこなわれたりする。

植民地支配に陥らなかった国でも、共通の言語の発見と発展には大いに力を注いだのである。それらの国は、ヨーロッパの国民国家形成の運動にその典型を見つけることが出来る。精神的な目的のために言語政策が利用されたのである。

いずれにしても、建国の際には、国家は求心性を高めようとする。共通の神話の発見、国歌、国旗、そして国語の樹立である。それらの統一のシンボルによって、ばらばらな言語を話す集団を統一して、互いにコミュニケーションが出来るようにするのである。

現代は実は新しい要素が加わったのである。それは、経済的な目的の自覚である。(これについては、次の記事で述べる)

 

 

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