2014-10-26
Fox Radioを聞いていると、丸腰の黒人男性を白人警察官が射殺した事件で司会者と視聴者が議論をしていた。これはアメリカのホットな話題の一つである。アメリカという国の性格と銃について考えてみたい。
昔、アメリカの探偵小説を読んでいて、シエリフは選挙で選ばれることを知ってビックリしたことがあった。日本ならば、警察の業務に精通した専門家が警察署の署長になるのだが、アメリカは素人が警察業のトップになるようだ。アメリカという国は、ヨーロッパからの移民たちが発祥となった。農業を主体とする人たちが、警察の仕事は自分たちで行った。素人たちが何とか自分たちで治安を守ったのである。自警団である。そのために各自が銃を持つ必要があった。自警団の親分のシェリフは選挙で選ばれるのである。裁判も自分たちでおこなった。裁判も一般の市民が行ったのである。裁判官制度は、司法の専門家の判断よりも、一般市民の常識が優先するという信念が根底にあるようだ。
すべて、自分で行うという発想は日本人には少ない。知人のアメリカ人は心理コンサルタントの仕事をしているが、かれは家のペンキ塗りやトイレや風呂場の装備品一式の交換を全部自分で行っている。開拓時代の何でも自分で行うという精神が現代も生き続けているようだ。この社会を生きていくのは自分の力量であり、何でもできる人間になろうという考えを抱く人が多いようだ。このアメリカの考えが世界の主流になりつつある。
多言語主義・多文化主義という言葉がある。要はアメリカの文化や英語にどのように向かい合うのかということである。アメリカの文化は強力な影響を世界に及ぼしている。英語は世界の言語を英語化しつつある。日本語でもたくさんの英語が取り入れられている。
アメリカではスーパーマンみたいな人がいる。グーグルの副社長が成層圏4万メートル以上からパラシュートでスカイダイビングして、これまでの記録を破ったというニュスを見た。アメリカ人の冒険好きな精神には驚く。
世界のコミュニケーションのツールに関係するのはほとんどがアメリカ発である。Facebook, Twitter, Google, Amazon, iPhoneなどである。世界中の富と情報がアメリカに集まっていく。世界の他の人々はこの現実をただ指をくわえて見ているだけか。何とか、アメリカの文化を越える文化モデルを世界に提示できる国はないものか。