CAN-DOリストを形式的にまねるのはどうか。

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2016-08-24

CEFRの理念は、ヨーロッパの統合がされて、同時に多言語社会が形成されることを認識している。ヨーロッパ各国がボーダーレスとなり、人の移動が頻繁に行われると、短期滞在(観光、ビジネス、短期留学)と長期滞在に分けられるだが、どちらの形でも人々や物の移動が頻繁になる。そんな社会を目指していることに注目したい。

多言語社会ヨーロッパでは人や物の移動が頻繁に行われる社会であるので、それゆえに、「~ができる」という能力記述文が、実際のコミュニケーションの場と重なるのである。つまりこの能力を身につけることが、意味あることであると実感できるのである。目標言語を学習しているが、将来ではなくて、現在進行形として、その国の人との実際的なやりとりが十分にあり得るのである。

さらには、多言語の社会であり、自分がさまざまな言語社会に移り住み、かつ様々な言語話者を迎えうる、そのような社会の現実から生まれてものであり、複数の言語の学習が必要であることが実感できる。それゆえに、英語だけでなくて、その他の言語もCAN-DOリストが作成されて常に同時に対比して使われるのである。学習者は言語パスポートを見ながら自己評価と今後の自分の言語の勉強の仕方を練ることが出来るのだ。

CEFRがアメリカではなくて、ヨーロッパで生まれたのは要は多言語社会を維持しようとする意気込みであると考えられる。アメリカなども多言語社会となっているが、それでも英語への収束傾向が強い。なかなか、多言語社会アメリカを実感することは出来ない。

さらには、生涯にわたり語学を学習していくことがその理念である。つまり多言語社会に実際に生きているのであるから、学校が済んだらストップはあり得ない。生涯移動するヨーロッパ人にとって、語学学習は一生の努力である。日本人はどうか、今、多言語化が列島で行われている。もう少し、多言語社会へと移行したらCEFRの理念を深く理解できるようになるのではないか。

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