言語保障

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2016-09-12

言語保障という言葉がある。言語に関して人間が本来的に持っている権利を保障することと言ってもいいか。

言語に関する権利と言ったらどうなるか。日系ブラジル人の子どもが親と一緒に日本にやってきた。彼は何を考えるのか、そしてそれはどのように守られるべきなのか。また親たちも言語には不自由を感じている。それはどうすべきか。

(1)母語保持教育:日本社会の中にいれば当然母語は次第に忘れていく。子どもがある程度の年齢になって、故国の文化伝統が大切であることに気づいても遅すぎる場合がある。母語の言語文化に常に触れさせておく必要がある。

(2)就学の機会:現在の日本では外国籍の子どもの教育は義務教育ではない。行政は、外国人の子どもの保護者が通学を希望する時のみ受け入れるという方針である。西洋では、「不就学」という事実自体があまり見られない。それは、義務教育という基礎的な教育を受けることは人間の基本的な権利であり、国籍とは無関係と考えられているからである。

そこで問題になるのは、外国人学校に行くのか、日本の学校に通学するのかの選択が出てくる。言語保障とは、この場合のどちらでも選択した道が可能になるように努めることであろう。

(3)成人の場合:成人は働き手であり、工場などの労働者として勤務することが多い。工場などで、ある程度の日本語学習の機会を与えることが望ましい(研修生ならば日本語の学習が義務付けられている)。それが不可能ならば、地方自治体が成人向けの日本人学校を廉価で提供することが望ましい。

(4)成人が日本で生活していく時に感じる様々な言語バリアーがある。ゴミ出しの方法が分からない。病院へのかかり方が分からない。年金制度や介護保険が分からない。この「分からない」は日本語の理解不足に由来する。この場合は理解が十分であるように、日本人の側から(ここでは地方自治体)が言語サービスが提供されるべきである。


考えられる言語保障とはそのようなことか。言語話者を集団で考えて、少数民族の言語が圧迫をうけているとして、その民族の言語を保障することが一般的な言語保障と考えるが、個人での立場から考えることも重要である。

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