差別語について

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先日、学生と差別語について話をしていたら、「白痴」をいう言葉を知らないことに気づいた。成績がいい学生であるが、そんな学生でも「白痴」という語を知らなかったのだ。

現代ではこの語は差別語と見なされているようだ。そのために、もうマスコミに登場することはない。新しい小説や映画などでこの語が使われることもない。この語は抹殺されてしまったのだ。

私はパソコンで文章を作成するときはATOKを使っているが、この語を書こうとして「はくち」とキーを打ち込むと「白地、泊地、白雉、迫地」とは変換できるが、「白痴」とは変換できない。この語への変換は不可能にしてある。(でも、「白池」とは何か。この語は私は知らない。白い池を表すのか。)

ATOKを開発したのは四国にある会社だが、この会社は差別用語になりそうな語はすべて変換できないようにしている。実験的に幾つかの語の変換を試みたが、かなりの語が変換不可能になっている。

差別語と見なされる語は放送禁止用語として、マスコミは自主規制をしている。マスコミでは使わないようにしているために、若い人たちの目に触れることはなくなってきた。そのために若い人は知らなくなってきた。この勢いが続くと、「白痴」という語は完全に消えるだろう。

もともとは中立的な語であったのが、侮蔑の意味が加わると、言い換えが行われる。言い換えられた語が時代と共に侮蔑の意味が付いてくる。そこで言い換えが行われる。

差別語は消えても、差別はなくならない。ただ、人間は、子どもから大人になるにつれて多様性ということに寛大になる。世の中のことを知ることが多くなるにつれて、いろいろな人が世の中にいるのだ、ということを知るようになる。そしてその存在を自然に受け入れるようになる。

差別をなくすためには、差別語をなくすよりも大切なことがある。子どもたちが、多様な人々との接触の機会を持つようにすることで、存在を受け入れられるような意識改革ができると思われる。

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