自分の蔵書に関する個人的な話

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自分は2016年の3月に前任校を定年退職した。定年退職を迎えるにあたって、一番、頭を悩ましたことは研究室の本をどうするかであった。かなりの量がある。自分の住んでいるアパートには本を置くスペースはまったくない。でも何とかある程度の本は残しておきたい。そのような状況で次のような方針を定めた。

(1)紀要や雑誌類は重要なものはスキャナーで読み込む。それ以外は捨てる。
(2)学生や同僚の先生に関心を持ってもらえそうな本は差し上げる。
(3)半分は勤務校の図書館に寄贈する。
(4)残りの半分は石川県の実家に送る。

夏休み前あたりから、蔵書の処分は進めていった。どうしても愛着のある本、研究する上で大切な本は残しておくことにした。だいたい50箱ほどだが、箱に詰めて、石川県の実家に送った。実家は現在は誰も住んでいない。引っ越しの「サカイ」にお願いして、運んでもらった。送料は10万円であった。

勤務校の図書館にかなりの量の本を寄贈した。大学の個人研究費で購入した本は原則として図書館に返還する必要もあった。

がらんとした研究室を眺めて、「いよいよ自分の研究生活も終わりか。あとは実家の本をきちんと整理整頓して、老後の楽しみに読書三昧の生活か」と考えていた。

そんな時に、現在の勤務校でのお仕事を紹介してもらった。ありがたいお話なので、お受けすることになった。そんなことで、研究生活を今後も続けることができることになったが、本がない。雑誌類は処分してしまった。本の半分は図書館に寄贈してしまった。今さら、寄贈を取り消して「戻してくれ」と言うわけにはいかない。実家に10万円をかけて運んだ本を新しい研究室に持ってくるのは金と費用がまた掛かる。

今はまったく資料がない状態である。であるから、現在の自分はネットで資料にあたることが多い。幸いにも現代は多くの研究者が積極的にネットで研究成果を公表している。面白そうな論文はプリントアウトしてそれに目を通している。

今のところの自分の最大の関心事は、このブログ「言語21世紀塾」を何とか手入れして、人々が使いやすいものにすることだ。特に、言語政策の年表をもっと充実させたい。しかし、肝心の資料を手放してしまった。でも、ネットの資料を丹念に追っていけば、ある程度は年表の充実も可能かなとも考えている。

それから、昨年、何人の方から、論文を寄稿しないか声を掛けられたが、ほとんどのテーマが資料がないために残念ながら辞退せざるをえない。うろ覚えで書くわけにはいかない。やはり資料で実際に確認しながら書く必要がある。今のところ、本がないので、不自由な研究生活を送っている。

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