『大伴家持』を読む。

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藤井一二先生(松蔭大学特任教授)が『大伴家持』という本を中公新書として出版された。この本をご恵贈いただいたので、ここに紹介したい。

藤井先生は長く日本史の研究をされて、幾つかの大学を歴任され、現在は松蔭大学特任教授として教鞭を執っておられる。先生のこれまでの数十年の研究の成果がこの本に結晶化していると言えるであろう。

さて、自分の感想だが、自分は日本史の専門家ではないので、素人としての感想になってしまうが、その点はご海容いただきたい。

さて、自分は「歌を詠む」ということはかなり個人的な活動だと思っていた。自分の個人的な感情を密かに詩歌にして自分が満足する、というイメージを持っていた。

しかし、この本を読むとその認識は訂正する必要があるようだ。「歌を詠む」というのは当時はきわめて公的な活動である。何か儀式があるとその儀式の締めとして歌が詠まれる。この時代の人は宴会が好きだったようだ。その席では歌を詠むことが必修である。歌の上手下手がその人の人物評価にもかなり影響しそうだ。

宴会で歌を詠むことは、現代社会で言えば、会合で議事録を記すこと、と同じような意味合いだったようだ。さらには、現代の旅行記、日誌、風景画、植物図鑑、カメラやビデオ撮影と似たような要素がある。万葉集もそのような視点から読み直すと、面白そうだと感じた。

歌の持つ公的な要素、その当時の貴族社会を機能させるための重要な基盤であったことに気づいた。現代の我々が持っているスマホがこれと似ている。スマホは、何かを記録し、何かを人に伝え、過去の文を読んだり、視聴する。「歌を詠む=スマホを用いる」と私は勝手に解釈する。

あと、自分が知ったことを幾つか挙げてみたい。

(1)大伴家持は薩摩の国司に赴任した。太宰府だけではなくて、薩摩まで足を伸ばしたことは知らなかった。
(2)東北地方の平定に向かい、持節征夷将軍に任じられた。大伴家持には武将としてのイメージはなかったのだが、そんな仕事までもさせられたのかと驚いた。
(3)彼の生きた時代は橘仲麻呂の反乱などいくつかの生臭い事件があったが、彼は上手に泳ぎわたり、連座などで致命的なダメージを受けることはなかった。
(4)「越中」というのは家持の時代は、能登半島も含まれていた地理概念であった。能登半島には彼が視察して幾つかの歌を残しているが、てっきり彼の能登訪問は趣味の旅行と私は思っていたが、そうではなくて、ちゃんとした彼の仕事の一部であったことを知った。


大伴家持は色々な地域に住んだことがあるが、「北陸」はその中でも重要な地域になる。藤井先生は家持に関するこの本の中で、北陸での滞在を主に研究して得られて知識を縦横無尽に駆使されている。

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