焼酎と自分

スポンサーリンク
Pocket

2014-11-03

今日の夕方(正確には11月2日の夕方)は家族でお好み焼き屋で食事をした。自分は焼酎をお湯割りで注文した。はじめは「一番札」(麦焼酎、400円)を飲み、二杯目は「つくし」(麦焼酎、450円)を飲んだ。メニューには、「一番札」は「香りと味わいのバランスが絶妙な麦焼酎」、「つくし」は「麦の香ばしい香りが広がる通好みの麦焼酎」と書かれてあった。お品書きにはとても説得力のある文章が並んでいて、思わず注文したくなる。

「一番札」も「つくし」も同じような味かな。それぞれ、飲んだあと、身体が火照るようだ。頭が少しぼんやりする。なんで自分は近頃は焼酎を注文するのか。長い間、ビールを飲むのが自分の習慣だった。でも、この年になってくると、ビールがしんどくなってくる。結構あとに残り、次の日の朝にだるい感じがする。いわゆる二日酔いである。もちろん350ml一缶だけならば、問題ないのだが、自分はそれだけでは終わらない。二缶を飲み、時には三缶めも飲むことがある。そして、ノックアウトしてしまう。

さらに、ワインや日本酒は甘い味がするので好きではない。夏の日の冷酒などは魅力的だが、やはり甘さが気になって最近は飲まなくなってきた。すると、ビールか焼酎ということになる。焼酎の方が二日酔いになりにくいので飲んでいるのである。

だいたい、毎日、焼酎を二杯飲むのが自分の習慣になってきた。おつまみ(枝豆、キュウリと柚の味噌、浅漬けのなす、煮たオクラ)をつまみながら、ゆっくりと焼酎を飲むのは至福の時間と思えることもある。だが、自分のこの年では、酒類はいっさい断つべきと思うこともある。

酒はやはり日常の時間空間から非日常の時間空間へ人を誘うのである。毎日、非日常の世界に入っていいものか。自分の母方の叔父さんはバスの運転手をしていて、退職後は暇なせいかお酒を飲み始めて、叔母さんの言葉によれば「二日ほどで一升瓶をあけてしまう」ほど飲んだようだ。たちまち糖尿病になってしまい亡くなってしまった。自分に取っては、一つの反面教師となっている。「退職後は何か趣味か、やるべき生き甲斐を持たないと、酒の魔力に取り付かれてしまう」ということは身近な例で十分に分かっている。

酒はどうしたらいいのか。やめるべきなのだが、やめられない。意志が弱いのであろう。自分の周辺で酒を全然飲まない人を数名ほど知っているが、それぞれ立派な仕事をしていた。いろいろと考えて、今後の目標は焼酎を毎晩一杯だけにする。それ以上は飲まない。そして、あと2年ほどしたら、完全に断ち切る、ということか。

IMG_1205

IMG_1207

デパートの酒売り場を見ていた。焼酎のコーナーにいろいろと並んでいる。写真を撮ってみた。瓶のラベルを読んでいると本当に飲みたくなってくる。たくさん飲まなくてもいい。一杯だけをゆっくりと味わうこと。そんな風に自分の習慣を変えていくべきである。そして、2年後は、寂しいけれど、断酒へと。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください