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先日、山川和彦教授(麗澤大学)の編集された『観光言語を考える』(くろしお出版)をご恵贈いただいた。ここに感謝の念を表すると同時に本の紹介をしたいと思う。
この本の執筆には、15名の研究者が関与されて、論文・対談・コラムと様々な形式をとりながら、「観光言語」をめぐる諸問題を考察したものである。15名の研究者が独自の視点から論述しており、この本を読むことで、オムニバス形式の授業を受けているような気になる。事実、合計で13章に分かれているので、半期の授業にほどよい分量だなと感じた。
学生には、読んだ本の「面白かった部分はキーワードにして、巻末の索引に加筆することで、自分独自の索引に育てることができる。それにより、再読が容易になり、自分の持っている知識が体系化して、本が使いやすくなる」と常々語っているが、この本はその典型になるであろう。
自分が興味を惹いた点をいくつか紹介する。「言語景観」である。言語景観の変貌は良く語られる。私自分自身も言語景観の歴史的な変化には関心があり、旅行するたびに、何枚も写真を撮って、街角の掲示の様子を観察していた。そのような事情で、第一章の「言語景観とは何か」という章には興味を惹かれた。
日本語以外に英語や中国語などの言語を併記することで言語サービスを高めることができるが、多言語化が進むと、それには限界があろう。その意味では、ピクトグラフとIT機器の進歩による翻訳サービスが注目される。
私はピクトグラムは全世界で自然発生的に広がったと思っていたが、p.147には、「1964年オリンピックで作られたピクトグラムは、その後、日本初の非言語表示として世界に広がっていきました。これこそ、日本が誇るレガシーと呼べるものだと思います」とある。日本で考案されたピクトグラムが世界で普及したのであり、これは東京オリンピックを契機とするものであったようだ。
IT機器の進歩は、あまりに進歩が早すぎて、驚くほどである。タブレットやスマホを片手に観光地を歩き回る若い外国人を見ると、自分も50年ほど遅く生まれていればと羨ましく思う。
この本には、橋内武教授のコラムも面白い。橋内教授は第11章「観光資源としての言語」という対談のなかで自分語りをされている。実は、橋内教授は個人的にも何回か酒の席でお話をしたことがあった。同氏は英語の専門家という印象であったが、それだけにとどまらない、森羅万象に関心をお持ちの方だと初めて知った。対談の中では、奄美への関心、地理学、ダークツーリズム、ハンセン病療養所などにも言及されて、豊富な知識をお持ちであることを知った。
橋内教授は、学会でよくお見掛けするが、時々ふらっといなくなる。後で聞くと、マルタ島、キプロス島など日本人がめったに行かないようなところにも平気で何か月も滞在する。現代の仙人という印象だが、この対談を読んでますますその印象を強くした。
さて、現代はコロナによる観光業への影響が深刻である。今後出版される観光関係の本は、コロナを無視するわけにはいかない。この本が数年後に再版されるときは、コロナに関する章も付け加えていただければと思う。
