いろいろな人のブログを読んでみる

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2014-11-23

母の病室に行く。母は今日は元気であった。いろいろな会話ができた。妹の子ども3人と私の子ども2人の合計5人の名前を覚えているかどうか試してみたら、妹の長女の名前だけ言えて、あとは忘れて言えなった。一人でも孫の名前をまだ言えるので良かったということにしたい。しかし、今日の母親はとても元気だった。これじゃ、私の方が先に逝ってしまうかなと思ったほどだった。

病室は4名の患者がいるが、窓際の一人は先週はとても顔色が悪かった。土色の顔をしていて、自分はギョツとしたほどだった。今日はそのベットはきれいに片付いていた。退院したのか、それとも?とちょっと嫌な気になった。横の患者さんは鼻歌を歌っている。『五木の子守り歌』 をよく鼻歌で唸る。今日は『愛染かつら』を唸っていた。この患者さんはいつかは元気で退院するだろう。

昨日、図書館で『摘録 断腸亭日乗(下)』を借りてくる。いろいろと拾い読みする。全集は岩波書店で発行されているようだ。全集を購入することは無理としては、いつかは断腸亭日乗の部分は図書館で見つけて読んでみたい。ところで、永井荷風はこの日乗を公刊されることを予想して書いたのか。それにしては、赤裸々な記述があって驚かされる。それから、死の前日まで日乗をつけていた気迫にも感動する。前日は昭和三十四年の四月廿九日で、「祭日。陰。」とだけ記してあった。うーむ、感動。

断腸亭日乗をブログに譬えることができる。このところ、ネットでいろいろな人のブログを読むようになった。面白いブログをたくさん見つけた。永井荷風で検索すると、彼について論じたブログをいくつか発見する。これらを読むのも一興である。

種田山頭火も面白そうな人である。この人も現代に生きていたらブログをやっていたのではないか。イメージとしては、山頭火は放浪しながらスマートフォンを手に持って、いい句や文が浮かんだら、早速、投稿する。そんなブログがあれば、わたしは毎日チェックしたい。

放浪の旅を続けながら句作にふける、とは風流な人生であったろう。もちろん、実際は大変で、我々は想像の世界での放浪の旅にとどめていた方がいいだろう。しかも、現代は人が歩けるような道は残っていない。コンクリートの道は結構足に痛いし、車の排気ガスや音で頭が痛くなる。だからこそ、現代では、山頭火は求められる。

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