2014-12-08
昨日の朝、母を見舞いに病院に行った。すると、妹とその娘2人(つまり姪たち)も見舞いに来た。久しぶりの再会であった。妹たちは京都の紅葉を楽しもうと来たのだが、まず母を見舞いたいと考えて、京都に到着すると一番にこの病院を訪問したようだ。せっかくの妹達の訪問だが、母はかなり認知症が進んでいて、ぼそぼそと返事をするだけだった。会う毎に認知症が進んでいく姿を見るのは辛い。
妹たちをホテルの近くまで車で送ったが、聞くところでは、ホテルは半年ぐらい前に予約したそうである。たしかにこの時期の京都は、ホテルを見つけることは難しい。学会が京都であると、多くの人は仕方なしに大津や大阪の方でホテルを予約する。その点で、妹たちは用意周到であった。ところで、妹たちにこのブログのURLを教えて、ときどき閲覧してくれるようにお願いをした。はたして、このブログをときどきでも訪問してくれるかな。
母のこのような状況を見ていると、自分の将来をも考えてしまう。自分の終活をどのようにすべきか、何をどのようにすべきか、何を準備しておかなければならないのか。
以前、自分のゼミ生と火葬と土葬、どちらがいいのかという議論をしたことがある。ゼミ生との話題として、あまり適切な話題ではなかったが、とにかくこの話で盛り上がった。自分は火葬は嫌いである。自分の肉体が火葬場で燃やされるのは耐えられない気がする。自分の希望としては、森の中で、大きな木の根元に埋葬されて、次第に自分の肉体が分解して、大きな木に吸収されていく。そして葉っぱとなり、それが落葉して、それが分解して、また栄養素として木に吸収されていく。その永遠の繰り返しならば何とか死を受け入れられる気がする。
しかし、ゼミ生は顔の上に土がかぶるのは苦しくていやであると言う。土が全身を覆うので身動きができない感じで窮屈であると感じると言う。そんなものかな?とにかくゼミ生は閉所恐怖症のようだ。
日本にいる限りは火葬の運命からは逃れられないようだ。やはり海外へ行くしかないのか。