2014-12-20
今日はこれから上京する。小学校の英語教育に関する座談会に出て意見を述べるのである。座談会は、英語教育に関して出版予定の本の企画の一部である。そんなことで、このところろ、英語教育に関する資料、とくに今まで Evernote に打ち込んだ資料などを読み返したりしていた。座談会に出て、自分の意見をさらに整理整頓できればと思う。
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昨日は夕方になり人が訪ねてきた。来年の2月27日〜28日にかけて、勤務校で合同研究会(言語と思考研究会、ことば工学研究会)が開かれる予定である。その開催の責任者である方が訪問されて、いろいろと事務的な打ち合わせを行った。
学会の主催のお手伝いをするのは久しぶりであり、自分も緊張する。うまく進めばいいのだが、やはり緊張する。これから手配するのは、懇親会、ランチマップ、バスの時刻、荷物の受け入れ配送、受付、マイクやPowerPoint、ノートパソコンなどである。
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図書館に行って、小林秀雄の評論集を借りてきた。その中で「無常という事」という文章を眺めてみた。この中に「徒然草」という項目がある。小林秀雄の文章は分かりづらい。自分が学生の頃は拒絶反応を示したが、自分もこの歳になると少しは楽しめるようになってくる。兼好は「目が冴えかえって、いよいよ物が見え過ぎ、物が解り過ぎる辛さ」を「怪しうこそ物狂ほしけれ」と言った、小林秀雄は述べている。そうなのか。
兼好は日常のちょっとしたこと、人から聞いた面白いことをさらりと記してあるだけのように思うが、本当はどうなのか。小林秀雄を手掛かりに自分の気付かなかった『徒然草』の一面を知ることは面白そうだ。
この当時の人は何かを記すのは硯で墨をおろして、それから筆で和紙に書いたのである。現代に生きている自分は Evernote にキーワードを打ち込んでいて、のちほどMacBook Air で文章にまとめあげている。兼好は何をどんな風に記録したのか、その点を中心に彼の文章を読んでみたい。少なくとも『徒然草』は何かのプロジェクトを行ってその進捗状況を報告した行動日記ではない。身辺で見聞きしたことを記すだけ。自分のブログもその点では似ている。